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 第33回 「番外編/内蒙古の旅」

 季節の移ろいは早く、内モンゴル草原の出来事も遥か彼方の出来事の様に感じます。今回は医学情報をお休みし、前回に続き旅日記を少しお話しします。

 モンゴルの山は岩山で、パイ皮の様に張り付いた赤土にまばらに木が生えています。夏も盛りを過ぎた頃、しばしばモンゴルは突然の大雨が降ることがあり、山肌を削り取った雨水が鉄砲水となって、泥水、木、岩石と共に山間の道路や村や畑を一瞬のうちになぎ倒し、破壊してしまいます。ところが3〜4日も経つと乾燥した天候と、地面の下が砂漠という地形の為、雨水は嘘の様に消失し、はぎ取られたアスファルトの破片と転がり落ちてきた大きな岩が何年も前からの風化し景色の様に乾いた土埃の中にあり、倒れた木々の葉っぱが未だ青々としている事からようやく最近の水害の痕跡と認識できるのです。私達はその様な、かつて道であった荒れ地をサファリラリーの様に4時間ばかり車を走らせ、草原に辿り着きました。

 今年の冬、モンゴルは大寒波に襲われ、多くの家畜が死に、草の発育も例年の十分の一程度です。草原の遊牧の人々にとって、観光が大きな収入源ですが、今年は気候の変化による自然災害の影響で観光バスが来ず、人々の生活は困窮していました。その為か私達があるパオを訪れた時に、昔、蒙古相撲でならした様な逞しい髭面の主人と可愛い娘達が、遠来の親戚が来たかの様に大喜びで温かく迎えてくれました。

 早速我々5人の為に貴重な一頭の子羊を料理してくれる事になりました。パオの裏で鉄製の台の上に大きめの子羊が仰向けにのせられ、観念した顔をしています。日焼けした明石家さんまに似た青年が、久しぶりの仕事に嬉しそうな顔をしてナイフを子羊の胸を目掛け20センチほど縦に切り裂き、胸腔内に素早く手を突っ込むと心臓を握って取り出しました。一瞬子羊が足をバタつかせましたがすぐに静かになり、全く見事な屠殺です。続いて腹を割き腸を取り出し、首を落として血液を女達が用意した金ダライにとりわけ、要領良くあっと言う間にさばいてしまいました。

 パオに戻り、車座に座って酒を飲みながら小一時間待っていると、次々と先程の羊が料理されて出てきました。一寸抵抗があった腸詰めの血のソーセージや、様々に調理された羊料理は全く臭みが無く、どれも美味しく丸ごと一頭残すことなく平らげました。

 とてつもなく強いトウモロコシの蒸留酒を酌み交わしながら、ふらついた足で小用をしている背後に何物かの気配を感じて振り向くと豚が見つめていました。手洗いに何往復かしている間に、主人がこの地方一番の馬頭琴の名手を呼んでくれました。驚いた事に内蒙古の遊牧の人々は皆携帯電話を持っており、連絡網は見事です。オートバイに乗り、馬頭琴を肩にハンサムな青年が間も無くやって来ました。草原に吹き渡る風に乗って流れる琴の音と娘達が歌ってくれる民謡を聴きながら、ヨーグルトに似た秘伝の馬乳酒に酔い陶然として夢の様な時を過ごしました。

 一休みして酔いを覚した後に、草原見物に出かける事になりました。
 我々の為に何頭かの蒙古馬が用意されました。私は乗馬は初めてでしたが、ハイヨーシルバーのローンレンジャー、白馬童子のテレビにかじりついた世代で、右腕を高く掲げたナポレオンが乗馬している絵の白馬にも憧れていた私は、躊躇せず白い馬を選びました。もちろん気分は草原を疾走するインディージョーンズになりきっていました。

 360度見渡すかぎり大草原です。風音だけを心地好く耳に感じます。
 友人T君は少し大柄な黒い馬を選びました。ところがこの馬は性格が悪い様で、一列になり私の前を行くのですが、さかんに首を振ったり、立ち上がろうとしたり、T君の言うことを聞かない様子です。近づくと尻に蝿がいっぱいたかり、尻尾でしきりに払おうとしています。目にまわりにも蝿が集まっている様子で盛んにうるさがっています。T君はチョッ!チョッ!という蒙古の掛け声をあげ「この馬鹿馬!まじめにやれ」等と怒鳴って鞭で尻を叩いていますが、苦労していました。

 ところで一時間ほど経った頃、私は大きな選択の間違いをした事に気がつきました。白い馬を連れて来た飼主はかなりの高齢で、日焼けか酒焼けか判らないしわくちゃの顔で私ににやにやしながら手綱を渡してくれた事を思いだし、主があの歳ならこの馬もかなりの老馬かもしれんなあ等と思っている内に、馬が息切れしてきました。

 坂を駆け足で下りる時には85キロの乗り手の体重を支えるのが辛いのかヨロヨロとつんのめり、前を行く黒馬の肛門に鼻を突っ込む始末です。驚いた性格の悪い馬鹿馬はあろう事か私の迷馬を後ろ足で蹴り上げたのです。T君も私も寸での事で振り落とされるところでした。馬は疲れると小便をするらしいのですが、突如立ち止り滝の様な小便を長々とするやら、隊列を離れて小川の水を飲みに行こうとしたり、動かなくなってしまいます。私もチョッ!と掛け声を上げ尻に鞭しますが、迷馬は「私もうダメ!」といった風情で首をうなだれ、肩で息をつき、足はよろめいています。

 ジンギスカンはこんな蒙古馬で世界を征服したのでしょうか?このまま草原で馬が倒れてしまったらどうしよう?と言う不安が一瞬よぎりました。隊列から遅れ、ようやく遠くに白く点在するパオの集落が見えてきた頃には草原に夕闇が迫っていました。こうして颯爽としたはずのインディーヒロオカの3時間の草原トレッキングは人馬共にヨレヨレの状態でパオにたどり着いたのでした。

 さてその夜、私は尻が痛くて寝ることが出来ませんでした。見てもらうと尻が赤く腫れ上がって、皮がむけていると言うのです。仕方なく四つん這いになり女房に軟膏を塗ってもらったのです。ロバやラクダの肉を食った祟りだったのでしょうか?なんともしまらないインディでした。
 次回はアカデミックな話題に戻ります。

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