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 第26回 「心臓破裂(急性心筋梗塞の合併症)」

 今年になってから古くからの患者さんが何人か亡くなり、悲しい気持になっています。死因は膵臓癌、突然の脳幹部出血、長期にわたる脳卒中の合併症、急性心筋梗塞でした。今回はこれらの患者さんの中で、私達の反省も込め、最も印象的だった心筋梗塞で亡くなった「Oさん」についてお話ししたいと思います。

 76歳のOさんは薬物治療が必要な糖尿病と高血圧症があり、2週間に一度必ず外来を受診され、血糖値、血圧共に良好にコントロールされていました。食事療法、運動療法にも積極的に取り組まれ、まさに優等生的な患者さんでした。ただ、あまり自分の症状や不満を口に出さず、我慢強い性格で(この事が命取りになったかもしれませんが?)「体調は悪くありません」と、いつも感謝の言葉を述べて帰られる方でした。外来での血圧測定はいつも差し出される右腕で行っていましたが、ある日偶然、左腕で血圧を測った時に、異常に低く、左右で50mmHgの差がある事に気づき、良く聞いて見ると以前から左手が冷たく、左肩から手にかけてだるい感じがあり、左手を使う事によりそれらの症状が増悪するとの事でした。

 糖尿病に動脈硬化性の末梢血流障害が合併する事はよく知られている事ですが、Oさんは眼底写真や頚動脈超音波検査で、動脈硬化性変化は軽度であり、自覚症状も訴えられなかった為、上下肢の血管が狭くなっているかどうかの詳しい検索や負荷心電図等による心臓の虚血性変化の検査を行っていませんでした。左手の血流障害による自覚症状はEPA製剤というコレステロールを下げ、末梢血流を改善する薬の投与でやや改善した為、安心しながらもその内、血管造影検査が必要であろうと考えていました。

 2月上旬のある日、Oさんがいつもと違う日に外来にやってきました。顔色は悪くなく、一見元気そうでしたが、「数日前から朝庭に出て冷たい空気を吸うと、前胸部の痛みを伴う圧迫感があり、深呼吸をすると治まっていたが、今日は何時まで経っても圧迫感がとれない」と訴えました。早速心電図をとって見ると明らかな急性心筋梗塞の所見です。風邪をこじらせたのだろう位に考えて歩いて外来に来たOさんは、私の診断と突然の絶対安静の指示に不安の混じった意外な顔をしていました。

 PTCRやPTCA等の緊急血行再建の必要があり、設備のある病院へ転送する事を説明し、病院の専門医に連絡を取り、看護婦に付き添ってもらい救急車で送りました。送り出した後、手遅れにならなかった事にホッとしていたところ、病院の担当医から電話があり、Oさんが病院に到着してICUに収容され、超音波検査をしている最中に突然心臓破裂を起こし、極めて重篤な状態になっているとの思いがけない報告を受けました。

 外来を終えるのもそこそこに病院に駆け付け、ICUに行ってみるとベッドの上でOさんの胸は大きく切り開かれ、心臓外科医が破裂部位を修復しようと悪戦苦闘した跡が見られ、補助循環装置という人工心肺が、これ以上のサポートは無理と判定されて止められたところでした。

 急性心筋梗塞による心臓破裂は穴の周囲が豆腐の様に脆弱になっており、穿孔部位を縫い縮めようと針を心筋にかけた所が裂けて、血が噴き出し、ますます泥沼化し絶望的な状態になる事を、私も現役の心臓外科医の頃経験していますが、Oさんもまさにその状態でした。つい2時間前までお話しをしていたOさんのあっけない最後を確認した後、二度とこの様な悲劇が起きない為にどの様にしたら良いかと考えながら病院を後にしました。

 急性心筋梗塞は救急医療の進歩した今日でも死亡率の高い病気です。殆どの急性心筋梗塞の死亡は発症1時間以内の心室細動という重症不整脈によるものです。この為、胸痛発作が生じた場合、できるだけ早く医療機関を受診し、重症化しない内に適切な治療を受ける事が必要です。以前から狭心症があり胸痛発作に対しニトログリセリンを服用している人は、発作時ニトロを舌の下に入れ、症状が治まらない場合、5分おきに3回まで服用し、症状の改善が無い時は直ちに病院に行くべきだと言われています。又、発作時の血圧は重症度を知る上に重要で、高齢で血圧の著しく低下した症例の死亡率は30%と高く、若い患者で脈が遅く血圧が正常か上昇している症例では5%以下の死亡と言われています。

 Oさんの場合は不整脈も無く、血圧はいつもより多少高めでした。悲劇の原因の一つは糖尿病にあったと思われます。糖尿病の患者は神経が障害され知覚が鈍くなり、胸痛の程度も疾患の重症度の割には強く無く、その為治療が手遅れになる事があるのです。又、血圧が高くなった事がOさんには逆に災いし、梗塞で弱くなった部位に作用して心破裂に至ったと考えられます。

 急性心筋梗塞による死亡の原因は、

 1)重症不整脈
 2)心不全
 3)心臓の筋肉の破裂

 が考えられます。心室細動等、心停止に近い極めて危険な物も含めた不整脈に対しては、救急車の隊員が除細動装置を用いた電気ショック治療を始めとした初期治療を行える様になった事や、病院収容後も各種抗不整脈剤、ペースメーカーの使用により救命出来る症例も増えて来ました。又、心不全に対しては、各種薬剤や、IABPを始めとした補助循環装置の進歩で治療成績が向上しています。最近では入院後直ちにカテーテル検査を行い、つまった冠動脈の血栓を薬で溶かし、狭くなった冠動脈を風船で拡げる、PTCA・PTCRといった治療が発症後6時間以内に行われた場合有効である事が確認され、一時間以内に行われた場合には50%も死亡率が減少したと報告されています。この様に急性心筋梗塞の治療は進歩していますが、Oさんの様な心破裂は依然として致命的です。

 心破裂は急性心筋梗塞による病院での死亡の約10%を占めると言われています。高齢者で男性よりも女性に多く、急性心筋梗塞の1日目から3週間の間(特に1〜4日目)に多く発生する傾向があります。又、以前に心筋梗塞の既往のある人よりも初回の発作として生じる場合が多い様です。心臓の破裂部位は主に3箇所です。心臓の筋肉が破裂する部位が僧帽弁と言う左心室と左心房の間にある弁を支える乳頭筋という所に生じた場合、僧帽弁が急激に逆流します。又、左心室と右心室の間仕切りである心室中隔と言う壁に生じた場合、壁穴が空き、左心室の血液が右心室に流れ込み、いずれも急激に心不全に陥ります。これらに対しては心不全の治療をしながらタイミングを見計らい、外科手術による破裂部位の修復が行われます。

 Oさんの破裂部位は左心室の自由壁破裂と言われるもので、最も重症です。破裂部位から外へ血液が噴出し、心臓を包む膜と心臓の間に血液が貯留し、心臓の動きを抑制し、心臓タンポナーデという状態になり、心臓は止まってしまいます。待った無しの手術が必要ですが、外科的に穴をふさぐ事が難しく、たとえ万全の体勢で手術に望んだとしても、その成績は極めて不良です。

 Oさんの場合、一日あるいは半日早く来院して頂き、病院でカテーテル検査を受け、血行再建の治療がされていたら心筋梗塞になっていたとしても、心破裂を起こさずにいたかもしれません。

 改めて糖尿病を持つ動脈硬化の患者さんへの日頃の我々の気配りと患者教育の重要性を認識しました。

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