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 第30回 「脳血管障害」

 毎日憂鬱な梅雨空が続いています。雨が降っても雪が降ってもH婆さんはきちんと2週間おきに外来に通ってきてくれます。さて、先日外来予定日でもないのに待合い室で大声を出して騒いでいるH婆さんの気配です。3年前に風邪をこじらせ高熱で朦朧として救急車で某都立病院のICUに入院させられ、嫌がるのに点滴をしようとした看護婦に「あんたはオームだろう。ここはオームの病院だ。みんな逃げろ!」と点滴を引きちぎり、点滴台をなぎなたに見立てて大立ち回りをした前科のあるお婆さんです。

 運動会のだるま競争の張りぼてのような体型で、いつもは威勢のいいお婆さんが嫁に支えられ、足を引きずりながら診察室に入ってきました。「先生、わたしゃ情けない」と話し始めました。お婆さんの家では最近ネズミが出没するので、息子が庭にゴキブリホイホイか蝿取り紙の親玉の様なネズミ取りをしかけたそうです。お婆さんはいつも素足で歩き回っているのですが、うかつにもネズミ取りの紙に足を取られ、動けなくなりました。ストップモーションのかかったクロールの水泳選手の様な格好で助けを求めたところへ息子が聞き付け、マネキン人形のように固まったお婆さんを抱えるようにして家の中へ担ぎ入れました。そして思いきり蝿取り紙の親玉を引き剥がしたのですが、足の皮がむけかかり、真っ赤になってしまいました。「この親不幸者の馬鹿息子!もっと優しくやれ!」と怒鳴ると「やかましい、くそ婆、ぼやぼやしてんじゃねえ!」と逆襲され、真っ赤に腫れ上がった足の痛みもあり青菜に塩の風情です。

 それでも足の裏に軟膏を塗り、治療が終了する頃にはすっかり元気を取り戻し、「口は悪いがほんとは親孝行ないい息子なの。わたしゃ幸せ!」等と、女学生の様に肩をすぼませて言っています。聞いているこっちも疲れます。
 さて、前置きが長くなりました。前々回の脳血管障害の続きをお話ししたいと思います。

 脳卒中で高度の意識障害、昏睡を来たした患者さんは極めて重篤であり、昏睡状態から24時間に渡って、瞳孔反応か眼球運動の反射が消失している患者さんの生存率は10%と言われています。たとえ専門病院に運ばれ、集中治療が行われたとしても予後が期待できない事が多く、小渕さんもこの例にもれませんでした。
 高度の意識障害、昏睡の患者は自らの疾患を認識する事が出来ず、私達医師も病歴を第三者から録ることになります。一般に脳血管障害の診断の80%は病歴からの情報によると言われ、

1) 患者さんの主な訴え、症状
2) 発症の時刻、誘因の有無
3) 発症時の状況の特徴、時間的経緯
4) 意識レベルの変化
5) 頭痛、嘔吐、てんかん発作の有無
6) 発症後の神経症状の経時的変化

等の病歴を患者や家族から詳細に聞き出す事が的確な診断を下し、治療方針を立てる上で重要です。

 頭痛は重要な脳血管障害の徴候の一つですが、起こり方や症状で疾患がある程度推測できます。金づちで殴られた様な突然発症した激しい頭痛からはクモ膜下出血が疑われます。

 頭蓋内の動静脈の奇形や動脈瘤が大きくなって来る場合には、心臓の鼓動に一致したズキズキした拍動性の頭痛を自覚し、目の奥(眼窩後部)での拍動性頭痛は内頚動脈や中大脳動脈の動脈瘤を疑い、後頭部の頭痛は後大動脈の動脈瘤を考慮しなければなりません。顔面半分の痛みの場合は脳底動脈瘤の場合、生じると言われています。

 ところで頭痛は脳血管障害のみで起こるわけではありません。ズキズキする頭痛の代表選手は偏頭痛や群発頭痛、感冒にかかった時の頭痛で、血管性頭痛と言われるものです。

 10〜20代に発生し、頭痛持ちの家系であり、頭痛の起こる前に黒い点が目の前に出てピカピカ光る閃輝暗点という前触れがある場合は偏頭痛が疑われます。この頭痛では発作の最中に耳の手前で拍動を触れる浅側頭動脈や目の上の上眼窩動脈、後頭部の後頭動脈を圧迫するとぴたっと頭痛が無くなることがあり、他の頭痛と鑑別できる事があります。激しい拍動性頭痛が2〜3週間続き、その後半年か1年はぴたっと無いのは群発頭痛ですが、この場合は発作症状が激烈であり、1度は脳血管障害によるものとの鑑別をMRI等により行ってもらっておいた方が良いと思います。群発頭痛では酸素吸入をすると脳血管が収縮し痛みがすぐ消えるので、脳血管障害による頭痛と鑑別できます。感冒での頭痛は他の風邪症状の有無により区別がつき、感冒薬で消えてしまうのは皆経験している事です。

 これらの頭痛は肩こりから来る緊張性頭痛とともに最も頻度の高い頭痛ですが、生命の危機であり緊急を要する脳血管障害による頭痛と紛らわしい場合もあります。いつもと違う感じの場合は医師(特に脳外科医)を受診する必要があります。

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