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 第32回 「気圧と体の変化」
 今年の夏は5泊6日で中国の内モンゴル自治区を旅してきました。中国からの留学生協会会長を務め、中日文化発展協会の会長でもある友人のT君が以前から故郷の内モンゴルに一緒に行きましょうと強く誘ってくれていた事と、戦前に亡くなった祖父が日露戦争の前に陸軍の参謀本部より派遣され蒙古語を修得した後、蒙古人に変装して草原を駆け巡り、ロシアの情報収集をした話しを祖母より繰り返し聞かされていた事や、私が小学生の頃に好きで手垢がつくほど読んだ「ゴビ砂漠の名犬」と言う冒険小説の影響で広大な砂漠と果てしなく広がる草原、羊の油の染み付いたパオの生活、大草原の風を頬に受けながらの蒙古馬での乗馬、風音だけの静寂で仰ぎ見る満天の星、勇敢で豪快なモンゴルの人達との酒宴等々モンゴルに強い憧れを持っていた為、いつの日にかぜひ行きたいと思っていたのでした。

 実際のモンゴルは想像通りの素晴らしい所でした。我々夫婦とT君、少数民族取材のカメラマン氏の4人の旅で首都フフホトから走行1,700キロの自動車と3時間の乗馬による強行軍でしたが、一般の観光客の行かないモンゴルを満喫してきました。すっかりインディー・ヒロオカになりきった冒険旅行記はまたの機会にお話しすることにしましょう。

 さて、今回の医療情報は気圧と体の変化についてお話ししたいと思います。
 先日ラジオを聞いていたら、作家の五木寛之氏が自分の体調と気圧の関係について興味深い話しをしていました。それによると低気圧の状態では氏の作業能率が極めて低下し、筆が進まないようですし、ドイツでアウトバーンをぶっ飛ばして気圧が1,000ヘクトパスカル以下になるとスピードを落とすようにラジオで警告が流されるとの事から、人々はもっと気圧に注意して日常生活を送らなければならないとの事でした。

 ところで私達が日常診療している上でもお天気、気圧と関係した様々な訴えを患者さんから聞く場合があります。昔からジメジメした梅雨時には古傷が痛むという話しを聞きますし、リュウマチの患者さんの50〜80%が天候の変わり目に関節の痛みが増強すると言われています。驚くことにはリュウマチ患者に翌日の天気予測をしてもらい正答率が67%と高かったという報告もあります。また私の患者で医師のY先生は東京にいながら沖縄方面の台風、熱帯性低気圧を肩こり、血圧の変化で感知するという信じられない程精度の良い体内気象台をお持ちです。

 この様に、様々な症状と気象の関係は多くの人が実感していますが、その原因、メカニズムに関しては詳しく分かっていません。我々の専門雑誌でもこの種の質問には大家と言われる大先生方が焦点をはぐらかした答えでお茶を濁して来ました。

 地味ではありますが、気象と生体の変化を研究する生気象学と言う学問があり、気管支喘息が移動性高気圧の中心が接近すると喘息発作の頻度が増え、洋上に抜けると急激に減少することから喘息発作予報用天気図が作られたり、寒気団により発作が増える事から寒冷刺激が気管支の自律神経系の反射に及ぼす影響などが研究されました。又、自然環境下では気象だけでなく花粉、ほこり等のアレルギーの元になる様々な要因があるため、気象だけの影響を調べる為に人工気象室という自然界と同じ気象条件を人工的に作った部屋の中で呼吸の機能や各ホルモン系の変化を調べた研究もあります。

 私達の体は外部からの様々な環境の変化に対し、ホメオスターシスと言って常に一定であろうとする機能が働いています。地球の自転による一日の周期に対応した睡眠、覚醒のリズムと共に体温、心拍、血圧、消化機能、ホルモン分泌等の一日の変動が一定のリズムで微妙に変化しながら繰り返されている訳です。これは体内時計によって規定される生体リズムという機能によるものです。しかしながらこのリズムは海外旅行の時差ボケや、このところの熱帯夜による睡眠不足などで乱れてしまい、血圧や消化器系の変調を来します。これは外部からのストレスが自律神経や内分泌系のバランスをくずした為です。生体にかかる様々なストレスの一つとして、気圧の変化が考えられます。大きな気圧の変化が生体のある受容体に作用して高気圧では交感神経が活発になり、血圧や心拍数が上がって活動的になり、低気圧では副交感神経が優位となると言われています。

 しかしながら平地においては、高山や水中の様に生体が受ける気圧の影響が極端でないため、一般健常者では多少の気圧の変動で著しく血圧や脈拍が変化することは少ない様に思われます。

 しかしながら外部環境に対応する予備能力の低下した高齢者や一部の気圧変動に敏感な人、心機能の低下した人や低血圧の人などでは10ヘクトパスカル程度の気圧の低下が循環系に影響を及ぼすこともあるようです。昨年WHOのモニカプロジェクトから心筋梗塞、心臓死などの心事故と気象(気温と気圧)との関係を調べた研究が報告されました。それによると25〜64歳の男性257,000人を10年間にわたって検討し、3,616例の心事故があったそうですが、気圧との関係では1,016ヘクトパスカルで心事故が最も少なくV型のカーブを示したそうです。又、1,016ヘクトパスカルから10ヘクトパスカル低下すると、心事故が12%も増えたと報告しています。そして、高齢者や心筋梗塞後の人は特に気を付けるよう協調しています。

 ところで、学問上の発見は意外な動機によって始められた研究で実を結ぶことがありますが、最近読んだ論文で虫垂炎の発症が気圧に関係しているという面白いものがありました。

 その研究者の先生は「天気が良くなってゴルフに行こうとすると盲腸の手術が入って行けなくなる事が多い」というジンクスから虫垂炎発症の免疫系のメカニズムと気圧の変化の関係を解き明かしました。この内容を少しご紹介致します。虫垂炎に罹った事のある方はご存じと思いますが、お腹が痛くて病院に行き、色々な検査をされますが、その中に白血球数の測定があります。医者は虫垂炎を強く疑う場合、白血球数が増加している場合、最終的な診断を下し、手術という事になります。白血球は更に分画と言って、リンパ球、顆粒球系、単球に分けられますが、それぞれの血液細胞はその表面に自律神経の受容器を持ち、顆粒球はアドレナリンの受容体、リンパ球はアセチルコリン受容体という役割分担になっています。動物の活動が活発になり、交感神経が緊張すると顆粒球が増え、睡眠やゆったりした状態では副交感神経が優位となりリンパ球が増えるという訳です。

 このゴルフ好きの先生は虫垂炎の手術で摘出した虫垂の病理所見と症状発症時のアネロイド気圧計による気圧の状態、白血球の分画を検討して、低気圧では軽症のカタール性(リンパ球による漿液性の炎症)が生じ、高気圧になると重症で虫垂が穿孔し腹膜炎を起こす可能性のある壊痕性(顆粒球による化膿性の炎症)の虫垂炎が多くを生じることを突きとめ、お天気の良い高気圧の日には待ったなしの緊急手術を余儀なくされる理由を明らかにしたのです。この論文は先に述べた虫垂炎以外の疾患の気圧との関係のメカニズムをも推測させてくれます。例えば慢性リュウマチでは関節の滑膜にリンパ球、形質細胞の浸潤が見られます。憂鬱な気怠い低気圧の状態では副交感神経を介しリンパ球による炎症が活発化し、リンパ球から放出されるある種のサイトカイン(生体内で炎症、アレルギー反応、生体防御反応、免疫系に関与する蛋白活性因子)という物質の産生を伴いリュウマチの関節が炎症で腫れて熱を持ち痛むという事が生じるのかも知れません。又、リュウマチの患者さんは朝起きたときに朝のこわばりと言って指が動かなくなることがありますが、これも副交感神経の優位な時間帯に起きたリンパ球が関与した現象と考えれば説明がつくかも知れません。

 我々は自然環境の中でうまく適応して生活していく上に、気象の問題を無視できない事は言うまでもありませんが、気圧による生体の変化をより詳しく検討し、スポーツ、芸術等の活動に反映出来ればより良い成果が得られるのではないかと思います。

【文献】
1) 安保徹、他:気象と疾患 治療:79、NO.10, 1977
2) Danet S. Richard F. et al: Unhealthy affects of atmospheric temparature and pressure on the occurrence of myocardial infarction and coronary death, 10 year survey: the Lllle-World Health Organization MONICA project Circulation.100(1); E1-7, 1999 Jul.

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