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 第42回 「BNP検査-1」
 連日の熱帯夜で小生だいぶバテ気味ですが、我らが変人総理は元気に世界を飛び周り、政治的な成果を上げるだけでなく、ハードスケジュールの中、ちゃっかりとバレエ等の高尚なご趣味も満喫されている様子です。かつてサミットで下痢でダウンした総理もいましたが、今回の変人政治家の肉体的、精神的タフネスには驚くばかりです。ところで私は変人ならぬ奇人会という由緒ある?会の末席に入れてもらっています。メンバーはノーベル賞作家や都知事の編集を手がけたS社の元編集長ご夫妻を中心に、歌舞伎研究の第一人者のW教授ご夫妻、直木賞作家のK氏ご夫妻(正真正銘の奇人!)、数々の著名な作家の装丁を手がけたご夫妻、某TV局の重役ご夫妻、K大学の小児科の助教授ご夫妻に我々夫婦です。

 皆さんそれぞれご立派な奇人で、下関から空を飛んできたフグ鍋をつつきながら、各分野の「そもそも奇人とはいかにあるべきか?世界に対し奇人の果たすべき役割は?」等と言う高尚な話は一切せず、フグ中毒になった人を首だけ出して土に埋めるのはなぜか、フグ料理にあうシャンパンは果たして存在するのかといった問題を文学的、民族学的、社会学的、美学的、比較宗教学的、芸能論的、化学的、医学的立場から大真面目に激論するのです。ところで毎回帰りの道々、何で私の様なまともで凡庸な人間が奇人に推挙されたのか家内に聞くのですが、「あなたも他人から見れば結構奇人じゃないの?」と言う答えです。考えてみれば、ゴルフのクラブを一度も握った事がなく、自動車の運転は出来ないし、何よりも自宅にテレビが無く、ただ歩く事と木の鳥を彫るのが唯一の趣味の元心臓外科医はちょっと変わっているのかも知れません。

 さて、今回の医学情報は心臓の弱った状態が血液で分かるBNPと言う新しい検査についてお話します。20数年前駆け出しの心臓外科医をやっていた頃、心臓手術の後に原因が分からず大量の尿が出る患者さんを何人か経験しました。尿の出方は尋常でなく、滝の様に何十リットルも膀胱に入っている管を通じて流れ出てくるのです。通常、術後に尿量が多いと、心臓の働きに重要なカリウムが一緒に排出され危険な不整脈の原因となり、カリウムの補給に気を使うのですが、これらの超大量排尿例では不思議な事に血液中の電解質のバランスが崩れないのです。また大量の水分が体の外へ出ていく場合は、点滴で水分を補給しないと循環血液量が減って血圧が下がり、心臓の拍出量も減るのですが、水分出納の上から明らかにマイナスにも関わらず、循環動態の変化が少ない不思議な現象でした。

 心臓手術は心臓を止め、人工心肺装置を用いて行う為思いがけない合併症を起こす事があります。術中に脳下垂体に出血などのトラブルが生じ、抗利尿ホルモンが出なくなった可能性や人工心肺で血液を水で半分以上希釈してしまう為、細胞の生理的な水バランス調節機能が崩れてしまった可能性等色々検査をしましたが、結局原因は分からないまま患者さんは数日すると正常の尿量に戻り、腎機能障害を残す事無く、元気に退院していきました。

 その後、次第に人工心肺技術が向上したせいか、この術後の大量排尿の合併症を経験しなくなり、あれはいったい何だったのだろうと言う程度に忘れていました。ある日の事、新聞で宮崎大学の研究者が心臓の心房組織からナトリウム利尿ペプチド(ホルモン)と言う尿量を増やす物質を発見したとの記事を読みました。人が大量に水を摂取すると、血液の中に移行し、循環する血液量が増加します。この増えた静脈血が心臓に還流すると心房が容量の負荷で大きくなり膨らんでしまいます。風船の様に伸展した心房の組織から圧の変化に反応し、このANPと呼ばれる尿を増やすホルモンが出てきて尿として体外に水分を出し、循環する水分(血液量)を一定に保つのです。

 この発見は世界に誇り得る我が国の医学の業績の一つです。ところで心臓手術では人工心肺に接続する管を心房内に挿入したり、様々な術中操作で心房を圧迫したりして心房の壁に触れますが、この操作によってANPが血液中に出て、術後の大量利尿に関係した可能性が今になって推測されます。かつての我々のチームは大きなヒントを目の前にして原因を突き止めるチャンスを物にする事が出来なかったのです。

 さてこのANPの発見の後、やはり日本人研究者によって豚の脳からBNPと言うホルモンが抽出され、さらにこのBNPが人の心室に特異的に存在し、心不全等の診断に有効にである事が分かって来ました。次回はこのBNPについて新しい情報をお伝えします。

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