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 第53回 「乳 酸」

 最近、空からラインダンスで足を高く上げた女性達を乗せた円盤がおりてくる、所ジョージのノー天気な宝くじのコマーシャルがあります。私が子供の頃、NHKで松竹か宝塚の女性歌劇団の劇場中継があり、ロケットガールなる踊り子達が勢揃いしてエイヤーと言う様な掛け声をかけて一斉に足を上げるのを鼻くそをほじりながら見るのが楽しみでした。母親から「変な子だねえ、そんなもの見てないで勉強しなさい。」等と叱られたものです。学校の帰り道に畑にずらりと大根が干してあるのを見て、一度本物を見てみたいものだと夢想していました。ラインダンスの古い映写フィルムも中々味わいがあり、戦前の浅草あたりのレビュウでお姉さん達(生きてりゃ90)がロケットではなく大砲(おおずつ)の様な足を不揃いに上げ、右手を前の人の肩にかけ左手を客席に向けバイバイしながら電車ごっこの様にステージから去っていくシーンもお気に入りの映像でした。

 実のところ夢は意外に早く中学の修学旅行で実現しました。憧れの宝塚歌劇場で四国の山奥から来た坊主頭の黒い学生服を着た一団の一人として華やかなラインダンスを皆と口をあんぐり開けて観たのです。あの衝撃の体験が未だに尾を引いております。

 さて、今回の医療情報は乳酸についてお話します。最近私も乳酸トレーニングを始めたのですがきついのなんの!仲間のライバルY君は「さっきヤクルトを飲んできたので体に十分乳酸が入っています。今日は私は乳酸トレーニングは遠慮しときます。」等と訳の分からない事を言ってチャックさんを混乱させています。

 さて我々が生きていくのに不可欠な酸素は呼吸によって取り込まれ、血液によって末梢の組織の細胞に運ばれます。そして細胞内のミトコンドリアに存在する電子伝達系と酸化的リン酸化経路と言う2つの回路を介して作られる、アデノシン―三―リン酸(ATP)と言うエネルギー産生の中間物への変換に利用されます。

 運動で必要になるATPを合成するエネルギー源は、主に糖質(血中のグルコース、筋肉中のグリコーゲン)と脂肪です。ATPの細胞内の貯蔵はわずかであり、運動時の筋肉ではすぐに枯渇すると言われています。糖質の分解は解糖課程と酸化課程という経路をたどりますが、無酸素的な状態(嫌気的解糖課程)ではグリコーゲン1分子の分解により3個のATPが作られます。ところでこの解糖課程では横道にそれるルートがあり、ニコチン酸脱水素酵素(NADH)の還元作用によるルートと嫌気的解糖の最終産物であるピルビン酸から乳酸脱水酵素(LD)の還元作用による経路を経て乳酸が作られて蓄積されます。

 一方、酸素のある状態(好気的解糖)では、ピルビン酸がミトコンドリアに入りアセチルCoAに変換された後、酸化課程のTCAサイクルという回路に入ります。このサイクルは一回転する毎に水と二酸化炭素に分解しながら、一個のピルビン酸から15個のATPを作ります。TCAサイクルで作られるATPは少ないのですが、酸素の酸化作用によって出来た2Hが、電子伝達系で同時進行の高エネルギーリン酸結合という回路で水を作りながら、大量のATPを産生します。また運動が長時間になると脂肪分解による脂肪酸からのエネルギー産生が活発になり、アセチルCoAを経て大量のATPを産生します。

 一方急激な運動でブドウ糖や脂肪酸の代謝で間に合わない場合には、クレアチンリン酸として蓄えられているリン酸からATPが作られますが(ローマン反応)、この反応で産出されるATPでは筋肉は10〜15秒しか収縮できず、瞬発的運動に限られます。

 さて、運動によって筋肉が頻回に収縮と弛緩を繰り返すと、無酸素的にグリコーゲンの分解が亢進しATPが作られる事になります。しかしながらこのATPの供給時間は30〜40秒とわずかです。酸素の供給が無いと、先ほど述べた経路でまたたく内に乳酸が作られ、細胞内に多く蓄積される事になります。乳酸は酸性であり、酸性物質が増えた結果として筋肉のPHが下がりますが、この事が筋肉が収縮するのに必要なカルシウムイオン濃度を低下させ、筋肉の収縮力を弱めて疲労してしまいます。これが運動における筋肉疲労と乳酸の関係です。

 ところでY君の乳酸菌摂取と乳酸の関係ですが、トレーニング前の乳酸菌飲料の摂取で筋肉疲労を早める事はありません。乳酸は細菌によっても作られ、善玉菌の乳酸菌が文字通り乳酸を産生します。乳酸は腸の中で有害な菌が産生する異常発酵を起こす有害物質を減らし、腸壁を適度に刺激して腸の運動を正常に保ち、病原大腸菌等の病原菌の腸内での増殖を抑える働きをします。その他発ガン性を予防したり免疫機能を高め、コレステロールを下げる等、腸内で大活躍です。しかしながらこれはあくまでも消化管内での限られた働きで、腸壁から乳酸が吸収され筋肉内に移行する等という事は無く、筋肉の疲労とは全く関係ありません。

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