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 第55回 「糖尿病と運動」

 ある日の外来です。久しぶりにYさんが受診されました。8年前から年に一度会社の健康診断でクリニックを受診されるのですが、初めて会った時から何か懐かしい感じがしていました。しかしながら多忙な診療の流れの中で、通常の医師と患者さんの関係で終わっていたのです。さて今回診察が終わりかけたところで、Yさんが「おうちが無くなって寂しいでしょう?」と私の目をのぞき込むようにして言うのです。私はびっくりしてしまいました。

 
昨年、空き家になった為取り壊した故郷の家の事を、何故Yさんが知っているのかと一瞬とまどい、口ごもっているとYさんが「先生!私が誰だか分かりますか?………ヤスマサちゃん!」と私が子供の頃に呼ばれた名で問い掛けました。鳥肌立つ気配の私を見つめるYさんの目が、一瞬にして45年前の記憶をフラッシュバックさせました。そうだこの目はあのコーちゃんの目だ!私は思わずYさんの手を握り、「コーちゃんでしょ!」と答えたのです。私より3つ上のコーちゃんは、我が家のちょうど裏にある退職された校長先生のおじいさんのお宅に住んでいました。毎日、少年ケニヤの絵本を読んだり、川で遊んだり汽車の模型で遊んでいました。小松崎茂ばりのペン画で、戦艦ヤマトや戦車を描いてくれたり優しい兄貴分でした。小学校の高学年の頃、何かの事情で都会に転校され寂しかった事が思い出されました。

 Yさんは最近、法事で田舎に帰り、親戚の人と話している内に、信じがたいけれども自分の主治医がどうも弟分のヤスマサちゃんらしいと確信し、今回、意を決して声をかけたとの事でした。まさに事実は小説よりも奇なりです。神様も時には味な事をやってくれます。

 さて今月の医療情報は糖尿病と運動についてお話します。

 我が国の糖尿病は97%が2型糖尿病で、患者数は700〜800万人近くに増加し、境界型糖尿病も1,000万人近く存在すると推定されています。これらの増加の原因は、現代人の高カロリー食の過食と運動不足によると思われます。

 2型糖尿病ではインスリン感受性の低下と、食後のインスリンの追加分泌の減弱が発症原因の重要な因子であり、食餌療法に加えて運動療法が重要な治療として位置づけられます。

 糖尿病に対する運動療法の効果は次の様に考えられています。

【1】 筋肉などの組織でインスリン感受性を改善させ、高血糖や高インスリン血症の是正が得られます。この結果、糖尿病とその合併症が予防されます。高インスリン血症が続くと内蔵肥満、高脂血症、高血圧になると言われているので要注意です。

【2】 食餌療法と併用する事で徐脂肪体重(LBM)の喪失を防ぎ、体脂肪のみを選択的に減少させる事が出来ます。2型糖尿病の人ではインスリンの分泌が遅れ、食後2時間頃にインスリンがピークになります。この為その時間に運動しないと、増えたインスリンの働きでブドウ糖が全部脂肪組織に入り肥満になってしまいます。

【3】 有酸素運動を行う事により心肺機能の増強が見られます。有酸素運動は中等度以下(50歳以下では心拍数120/分、60〜70歳では100/分以下)の運動を行う事が有効です。ウォーキングであれば平均20分を一日2回、週に3日以上行う事が望まれます。一般的に重量挙げ等の無酸素運動は嫌気性代謝が主となりますが、筋力、持久力をつけ、筋肉量が増える事によりインスリン感受性が亢進します。有酸素運動だけでインスリン感受性の改善が見られない時には有効です。ダンベル等を用いたウエイトトレーニングを10分程度行うのが適切です。

【4】 糖尿病患者の多くは高血圧を合併しており、両者の合併が心臓病、脳血管障害、腎臓病等の危険を増加させます。運動は糖尿病とともに高血圧に対しても有効な治療であり、様々な合併症の予防に重要です。


 さて、これらの糖尿病に対する効果は、以前より良く知られていたのですが、実際に境界型の糖尿病の人たちが積極的に運動する事により、糖尿病になってしまう事を未然に防ぐ事が出来るのか?という大事な点に関しては、はっきりしたエビデンスは無かったのです。この為、患者も医者も、摂取カロリー等については具体的な数字を示して指導を行い、実践してきましたが、運動に関しては重要性を認識しながらもあまり具体性のある指導が行えていなかった様に思います。

 現在の医療で世界的に大きく変化した手法に EBM(Evidence Based Medicine) があります。個々の医師の経験に基づく判断も重要ですが、多くの症例を科学的に分析した結果を参考にしながら医療を行っていこうというものですが、最近、境界型糖尿病に対する画期的な報告がなされました。これは昨年、欧州糖尿病学会で発表された米国の大規模介入試験で DPP(Diabetes Prevention Program) と言われる研究で、境界型糖尿病の患者さんに標準的な生活指導に加え、糖尿病の薬を投与した群と、プラセボと言う糖尿病の偽薬を投与した群、積極的に生活習慣の改善を行い、低カロリー、低脂肪食を摂取し、一週間に150分以上の運動を続け、7%以上の体重の減少をはかった群を3年近く追及して比較したところ、薬物投与群に比べて食事運動療法群がはるかに優れた糖尿病への進展予防効果があったとも言うのです。これは糖尿病に対する運動療法の価値を示した、初めてとも言えるエビデンスで、運動療法を推奨する私達にとっては多いに勇気づけられる素晴らしい情報です。

 この様に運動の効果は素晴らしいのですが、インスリン感受性に関しては3日でトレーニングの効果が消失すると言われていますので、週3回以上継続する事が重要です。

参考文献:
 1)糖尿病の運動療法の手引き 佐藤祐造編著 南江堂 2001
 2) Diabetes prevenntion Program. N Engl J Med 346:393-403, 2002

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