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 第56回 「中国医療事情」
 今月の医療情報は、お隣の中国の医療の状況をお話します。WTOへの参加と、北京で開催されるオリンピックに向けて活気づく中国の状況は、皆様も各種報道でご存知の事と思います。

 
しかしながら医療に関しては意外に情報が少なく、問題になっている怪しげなやせ薬、先進国製薬メーカーのコピー薬などの悪いイメージや気功、鍼灸などの伝統的な中国医学(中医)の神秘的な医療が中心と言う古い観念をお持ちの方が多いと思います。

 実は私は以前より中国の医療に興味を持っていました。歯科医の妹に針麻酔で無痛の治療を受け、驚いた事も一つですが、15年前の英国留学中に病院を訪れた橋本龍太郎氏の案内をした際に、彼が病院首脳に自分が“北京に中日友好病院という病院を作った日本の政治家である”事を通訳してくれと言われた時に、彼からその病院がいかに素晴らしいかという事を聞かされ、いつかは中日友好病院を訪れてみたいと思っていたのです。

 中国の人口は13億人と言われ、一人っ子政策によって人口増加率はアジアの中では低く、2005年までに0.71%と推定されていますが、我が国の0.14%に比べればはるかに多く、増加の一途です。一方、平均寿命は世界一の我が国の81.5歳に比べて低く、71.2歳でタイと同等か韓国よりやや低い数字です。総務省の統計によると、人口10万人あたりの中国の死因別の死亡率は(我が国)、結核12.1(2.5)、悪性新生物105.5(196.4)、脳血管疾患104.5(96.9)、心疾患59.9(128.6)、高血圧16.3(6.4)、肺炎21.3(67.2)、腸炎0.8(0.8)、老衰0.0(18.9)、自動車事故死14.2(10.9)、不慮の事故死33.2(18.2)、自殺27.9(16.9)となっています。結核、高血圧、事故死が我が国に比べて多く、高齢化に伴う疾患死亡が少ない事や老衰死が0という結果は、医療を含めた生活社会環境が我が国に比べまだまだ不十分である事を伺わせます。

 
我が国が目を奪われがちな中国の都市部はともかくとして、中国全体としては純粋な開発途上国であり、中国の一人あたりの国内総生産(GDP)は現在我が国の40分の1程度です。しかしながら実質経済成長率は衰退する我が国の-2.9%に比べ、約8%と極めて高い数字を示しており、活性化された経済によって将来の社会整備や医療福祉の向上がもたらされ、寿命や死亡率も変化するものと思われます。

 
さて、この様な予備知識を持って、今年のお盆休みを利用して北京の医療施設を見学してきました。まず最初に訪れたのは2,000ベッドを有する北京でも有数のK病院です。近代的な医療設備と優秀なスタッフが働いている、我が国の大学付属病院といった雰囲気の総合病院です。まず驚いたのは外来患者数です。我が国でも最も多い病院が2,000人ですが、K病院は一日8,000人との事です。この数字に驚いていると案内のHさんが「軍の病院はこんなもんじゃない。一日12,000人は来ます。」との事で、呆気にとられました。

 待合室は年末の上野駅といった風情で、床に座り込んで弁当を食べている人もいます。病院の外に受診の番をもらうチケット売り場の様な建物があり、長蛇の列で番を取るのに2時間かかり、さらに受診を待つのに数時間、薬をもらい、会計が済むのに数時間で、一日仕事です。日本の大病院でも言われる事ですが、病院に来て待っている間に患者の容態がますます悪くなり、余計な病気まで移されるとこぼしていました。案内してくれた医師がこれはオフレコだが、院内感染による死亡が交通事故死より遥かに多いと言っていましたが、うなずける話しです。病院の一般患者へのサービスは患者中心ではなく、数十年前の日本を思わせますが、先端医療は先進国と変わりなく、同時期に他の1,000床クラスの病院を訪問した知人の話では、ICU、CCUなどの設備は日本と同じで、冠動脈疾患に対するPTCAが日常的に多く行われ、ペースメーカーの植え込み手術も年間100例程度行われているそうです。現在中国の一流病院の研修医は米国留学するものが多く、医療機器も最新鋭のアメリカ製のオンパレードと言う事でした。

 さて、私の憧れの中日友好病院は期待通りの近代病院で、東京の国立国際医療センターに似た病院でした。中庭に巨大な鑑真和尚の像があり印象的です。この病院は1,300床の総合病院ですが、西洋医学が900床に対し、400床は中医のベッドがあり、高度な先端医療と伝統的な中国の医療が行われています。職員は3,000人と多く、K病院に比べてサービスが行き届き、待合コーナーには病院で受けられる治療内容や備蓄薬品や設備を画面で検索できるディスプレイが設置されていました。中々のものだと感心している横の廊下をカトチャンの様なおっさんが、行き交う患者やスタッフを避けながら自転車を悠々と漕いで行きました。オオ〜と言う感じで、ドリフのギャグを思い出しましたが、いかにも中国的でこれも文化かなと思った次第です。

 さて、中国には国民健康保険や社会保険が無く、原則として医療費は自費という事になります。中日友好病院での教授の診察料は60元(1,000円)、ロックフェラー財団支援の米国系の協和病院では300元(5,000円)であり、入院差額ベッド代は一日800元〜1,500元(1万数千〜2万円弱)になります。その他の治療費、薬代を考えると、平均的なサラリーマンの平均給与が我が国の十分の一の中国の人々にとっては、これらの病因で治療を受ける事は経済的に難しく、中流以上の金持ちの人が近代的な質の高い医療を享受できる事になります。

 そこで一般の人はどうなるのか?というと、ちゃんと受け皿がありました。曲がりくねった、庶民のごみごみした住宅街の中にある、中医の大学付属病院を訪れ納得しました。戦前の病院の建物の様な古めかしく暗い病院ですが、ここも患者が溢れています。病院の前庭では屋台が蒸かした食べ物を売っています。外来に入ると顔や尻や背中に針を刺した患者が、魚河岸のマグロの様にベッドの上に並んでいます。次の部屋ではホットパックを腰や肩に当てた患者が、同じくズラリと横たわっています。院内は漢方薬の香りと食べ物の臭い、消毒薬の臭いがミックスし、不思議なアロマ空間です。

 中医だけでなく一般診療も行っており、レントゲン室では胃透視や注腸造影、CT検査が行われていました。前日のマオタイ酒で記憶に間違いがあるかも知れませんが、レントゲン室が廊下と薄い布のカーテンで仕切られ、外から見る事が出来、CT室のドアも木製の普通の戸であった様に思います。設備は旧式ですが、職員が皆きびきびと働いており、庶民が安心してかかれる病院の様で私は好感が持てました。

 全体的な印象では、中国では貧富の格差がますます開いており、裕福層は欧米や我が国と同様の医療を受ける事が出来る様になっています。そして各層に応じた医療機関が存在しており、医療の質はともかくとして、それぞれの層の懐具合にあった医療行為が行われている印象です。しかしながらあまりにも多い人口と広い国土を抱えた中国では、いつでも、どこでも、誰でも、均一な医療を受けられ、高い平均寿命を支える我が国の医療レベルとは、まだまだ大きな隔たりがある様に思われました。

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