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 第69回 「心臓病と運動療法」

 90才近い糖尿病のご隠居Yさんの毒舌が、このところ益々冴えています。痩身にべっ甲のメガネをかけ、戦争中は陸軍航空隊で“大空の勇士”と呼ばれたと自分で言っています。トンボの様な顔をして眼光鋭く杖をつき、多少足元をふらつかせながら外来にやって来ます。ウソかホントか知りませんが、彼の祖父が我が国の開業医第一号との事で、古い新聞のコピーを見せてくれた事があります。長年某医大にかかっていますが、最近病院がコンピュータ化されたそうで「医者は患者の顔を見ずにコンピュータの画面ばかり見てるし、時間はかかるし、医者にコンピュータなんか触らせるのは、猿に馬車を引かせる様なもんじゃ。ああ、先生も医者じゃった。へへ失礼。」等と言っています。

 この爺さんは糖尿病のくせに甘いものに目がなく「わしは洋菓子評論家じゃ。」と仰せになります。血糖値が300以上もあるのに、私の進言は完全無視で寝る前には必ずアップルパイを一切れ欠かさず、「モンブランはユーハイムの栗がいい、モロゾフのチーズケーキはどうの、ゴンチャロフの生チョコはいける。」等と次第に夢見る様な目つきになり、口中に唾液をため、ノドをごくりとさせながら講釈が続きます。そこで私も負けじと「ちょっと待った!Yさん、某医大でも言われていると思うけど、あんたの糖尿病は極めてコントロール不良だ!このまま行くと10年後の失明や腎不全は確実です。もう少し、寝酒じゃなくて寝菓子は控えた方がええでないの?」等と紋切り型の台詞を吐くと、爺さんは「な〜に、大体10年前から先生は同じ事を言っているが、10年経ってもなんにも起きとらんよ。大学のろくでもない医者どもと違って、少しは見どころがあると思っていたのに、患者の喜びをもう少し勉強してもらわんと。大体あと10年経ったらわたしゃこの世にはいないよ。先生もどうなっとるか判らんし。」後ろから看護婦がささやきます。「先生、今日も負けですね!」

 患者さんに「あれを食べちゃダメ!これをしちゃダメ!」と言うだけの警告が反感を買う事はあれ、あまり効果がない事は百も承知ですが、こんな患者、私は一体どうしたらいいの?“新宿の母”にでも相談しようかな〜?

 さて、毎度のごとく気を取り直し、医療情報に参ります。

 
生活習慣病に対する運動の効果が一般の方々にも理解されるようになり、ウォーキング専門の雑誌まで出て、ウォーキングを楽しむ老若男女をよく見かけるようになりました。一方、心筋梗塞や狭心症に罹患すると主治医の医師も患者も何となく臆病になり、運動から遠ざかる傾向があるようです。不完全なバイパス手術や風船による冠動脈の拡張術の後、運動により胸痛や不整脈が出現する患者さんは別ですが、安定した患者では積極的な運動療法が望まれます。

 先日(2003年9月3日)開催された欧州心臓病学会で、狭心症や心筋梗塞などの冠動脈疾患患者に対して、より踏み込んだ運動療法の試みについての発表が行われたので紹介します。

 これはドイツのライプチヒ大学からの発表です。対象患者は101例の安定した冠動脈疾患患者であり、全て男性です。これらの患者はすべて本来、経皮的冠動脈拡張術(PCI)という風船つきのカテーテルやステントを用いて動脈硬化で狭くなった部位を広げる手術の適応があると考えられた患者です。これら患者さんを半分ずつ実際にPCIを行った50例と運動療法だけを行った51例に分けて2年間観察し、どちらの治療が効果的か、以下の3項目について検討しています。

(1)狭心症の症状の発現の状態
(2)自転車エルゴメーターを用いた心肺機能の評価
(3)観察期間中に起きた心臓血管系の出来事(死亡、急性心筋梗塞の発生、PCIやバイパス手術、脳血管障害の発生等)

 この結果、無事故生存率は運動療法群が優位に優れており、PCIが行われたり、入院した症例も運動療法群が明らかに少ない結果でした。また運動療法群はPCI群に比べ運動時の最大酸素消費量の改善が見られ、心肺機能も良好である事が判りました。

 ここで示された運動療法は特別なものではなく、自宅で1日2〜3回、15分間の自転車エルゴメーターをこぐ事であり、軽い有酸素運動でも継続する事が効果的である事が示された結果と言えそうです。心筋梗塞になった人もガックリせず、諦めないできちんとした指導の元で、楽しみながら運動療法を行ってもらいたいと思います。 

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