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 第62回 「心疾患の運動療法」

 私達のクリニックは外国人の患者さんが受診される事が少なくありません。多くの場合は問題ありませんが、時にコミュニケーションがうまくとれず、思わぬ誤解を生む事があります。
 先日も中国からの若い女子留学生が骨折治療後の証明書が欲しいと外来にやって来ました。彼女はまだ日本語が殆ど理解できず、私と看護婦の「どういう証明書ですか?」「どこに出す証明書ですか?」という問いに「私、証明書欲しい。私ピザ作りたい。」と繰り返すばかりです。留学生だから「学校に提出するのですか?」と聞くと「私ピザ作りたい。」と次第に悲しそうな顔になり訴えるのです。そこで私はこれはアルバイトで働いているピザ屋さんに提出するものだろうと確信し、「書類はピザ屋さんに出す休職の為の証明でいいのだね?」と念を押すのですが、彼女は壊れたレコードの様に「私ピザ作りたい。」のオーム返しです。私は訳が分からなくなり、一向に埒が明かず多くの患者さんが待っている事もあり、次第に頭に血がのぼり、「作りたけりゃピザでもスパゲッティでも勝手に作ればいいでしょ!」と言う乱暴な台詞をはいてしまいました。その時横にいた看護婦が「先生ピザじゃなくてビザじゃないですか?」と叫びました。留学生は途端に雪解けの太陽の様な顔になり「そうピザ!ピザ!」とうれしそうに声を上げています。私は申し訳ないような情けないような気持ちで彼女に誤解を謝り、少し中国語でも勉強しようかとちょっぴり思ったのでした。

 さて、今月の医療情報は心臓に病気を持つ人の運動療法についてお話します。

 狭心症や心筋梗塞で、動脈硬化で狭くなった冠状動脈の部分を風船で拡げる PTCA といった治療や、バイパス手術を受ける患者さんが多くなってきました。これらの患者さんに対する運動の指導は、術後1〜2週目の入院中に社会復帰の目安として運動負荷心電図をとって、安全性を確認した後に医師や理学療法士の厳密な監視下での運動が行われています。

 しかしながら一旦退院してしまうと、十分且つ有効な指導がなされておらず、患者さんもおっかなびっくりでたまのゴルフを楽しむ程度で終わっている事も多い様です。近年心臓病を持つ人への運動療法の考え方が大きく変わり、従来は禁忌とされていた心不全の人に対しても、運動の効果が認められるようになってきています。

 心疾患を有する人への運動療法を行うに際し、前もって負荷心電図検査の実施が必須ですが、現在の所この検査の絶対禁忌となる疾患は、

 1) 発症3〜5日以内の急性心筋梗塞
 2) 不安定狭心症
 3) コントロール出来ない危険な不整脈
 4) 活動性の心内膜炎
 5) 重症な大動脈弁狭窄症
 6) 症状の完全が困難な心不全
 7) 急性の肺塞栓による脳梗塞
 8) 感染症、腎不全、甲状腺中毒症など運動によって悪化する疾患
 9) 急性心筋炎や心膜炎
10) 確実な運動負荷試験を行う事に安全性が疑問視される身体障害者
11) 下肢の静脈血栓症

が挙げられています。また相対的禁忌として、

 1) 主冠状動脈という大動脈からの出口の大元の冠動脈の狭窄
 2) 狭窄の程度が中等度の弁膜症
 3) 電解質異常
 4) 高度の動脈や肺動脈の高血圧
 5) 頻脈性や逆に遅すぎる脈の不整脈
 6) 肥大型心筋症
 7) 精神的に問題があり検査の協力が得られない場合
 8) 高度の房室ブロックという不整脈

が挙げられています。これらの禁忌項目は運動によって症状が確実に悪化するもので、運動療法そのものの禁忌でもあります。以上に挙げた疾患でなければ、米国の心臓リハビリテーションのガイドラインではバイパス手術や人工弁置換術後、心臓移植術後の他、日常的な活動によって症状の現れる心不全状態でも積極的に負荷心電図検査を行い、運動療法が導入されています。

 心臓病に対する運動療法によってもたらされる効果は、動脈硬化の進展を抑えて血管内で血液が凝固するのを予防し、血管内の血液に接する内膜という部位を安定させて、血管が詰まり難くする事が考えられています。また交感神経と副交感神経のバランスを正常に保つ事も有酸素運動の効果です。交感神経の活動が亢進しすぎると、心拍数が増加して心疾患に悪影響を及ぼす事が知られており、運動による交感神経の緊張低下が期待されます。

 以前は心筋梗塞で虚血に陥った心臓に対する運動の効果が、側副血行路と言う自然のバイパスを増やす事によって改善するのではないかと考えられていましたが、最近では否定され、運動により心臓の筋肉に対する酸素の需要と供給のバランスが相対的に改善される為の効果と考えられています。運動に適応して心筋の様々な代謝が活発となり、心臓の動きも改善します。すなわち、 submaximal の運動を継続する事によって通常の心拍数が低下し、収縮期血圧が低下しますが、この事が心筋の酸素の需要を減らし、冠状動脈血流の多くの供給を必要としなくても心臓の機能が保たれる事になるのです。

 また運動によって、動脈硬化で狭くなった冠状動脈の動脈硬化の進展が抑えられ、一部には狭窄改善である退縮も見られると言われています。心不全への運動の効果に関しても新しい知見が得られています。すなわち心不全の状態では心臓からの血液の拍出量が減り、その結果手足の骨格筋に流れる血流の慢性不足の状態が起こります。それにより骨格筋の毛細血管の密度が低下し、筋肉の線維が疲労しやすいbというタイプに変化すると言われています。一方運動をすると骨格筋の毛細血管の密度が増えて血流が改善し、筋繊維もタイプbから、ミトコンドリアが多く酸化酵素も豊富な疲労しにくいaタイプに再変換するそうです。

 以前は心臓病の人への運動は有酸素運動のみに限られ、筋持久力を目的とした運動は推奨されていませんでした。しかしながら、息をこらえて行う(バルサルバ手技)のような収縮期、拡張期血圧の急激な上昇を伴う強いレジスタンス運動でなければ、中等度のリズミカルに行うレジスタント運動が筋の持久力を改善し、心臓以外の骨格筋、自律神経、血管の反応性が改善し、全体の総和として心不全に陥った心臓にも良い効果をもたらすものと考えられています。今回は話が少し難しくなりましたが、次回は心疾患を持つ人への運動療法の実際についてお話します。

文献: Gerald F. Fletcher, Gary J. Balady et al:AHA Scientific Statement; Exercise Standard for Testing and Training Circulation. 2001;104:1694

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