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 第63回 「心疾患の運動療法2」

 ある日、僧帽弁狭窄症という心臓病で人工弁置換手術を受けたKさんがやって来ました。やくざOBで、ふうてんの寅さんの様なKさんは気が短く、待ち時間が長いといつもブウブウ言っています。風船の様に膨らんだ大きな心臓のKさんのX線写真を見ていると、このところ少しボケたものの益々毒舌のさえる90歳のS婆さんが診察室に入って来ました。

 何にでも興味を示す婆さんはX線を見て「私のとはずいぶん違うねえ、これは何?」と心臓の影の中に移っているリング状の物を指して聞くのです。私は一寸からかって、「この患者さんは心臓の弁が悪くて、ブタの弁に取り換えたので、いつもブウブウ言うようになったんですよ。」と言ったところ、婆さんは「へえーブタのベンが心臓の中に入っちゃったの!」と驚いています。婆さんの診察が終わり、いつもの注射の為に隣の処置室に入ると、ブタの弁に変えたKさんが看護婦さんをからかいながら採血されています。婆さんはしげしげと化け物でも見る様にKさんの横顔を見ていましたが、後で看護婦さんに小声で聞いたそうです。「牛のうんこが心臓の中に入ってもあの人は大丈夫なの?」婆さん、ブタでも牛でもいいけど、ベン違いだっつうの!

 さて、今月の医療情報は先月に続き、心臓病を持つ人への運動療法についてお話します。

 運動療法を始めるにあたって、他の治療と同様にインフォームドコンセントが重要です。特に心疾患を持つ患者さんでは、運動中の突然死、心筋梗塞の発生、致死的重症不整脈、心不全増悪などの事故の可能性も考慮に入れておかなければなりません。不用意にやると事故の元ですし、医者や運動療法士が慎重すぎても効果が上がりません。事前に充分な負荷心電図を始めとした心肺機能の評価を行う事が重要です。そしてこの結果から安全で有効的な運動療法の処方を患者さんに示し、余計な不安を与える事なく、楽しく継続できるメニュウを患者さんに納得してもらい、同意を得る事が大事です。

 2001年の米国の新しい運動療法のガイドラインの骨子は、対象患者を心不全などの比較的進んだ心疾患にまで拡げており、安全を重視し、運動の強度をより低く設定しています。すなわち心血管系の持久力の改善を目的とした有酸素運動では、大きな筋肉群の収縮と弛緩を反復するウォーキングやランニングを週3〜6回、少なくとも30分間行う事から始め、運動強度に関しては、6年前のガイドラインで示された最大心拍数の60〜79%、最大酸素摂取量の50〜70%と言う指標から、それぞれ50〜70%、40〜69%で始めるよう修正されています。特に65歳以上の高齢者では運動能力が低く、座位の生活が長い為下肢の筋力が低下している場合もあり、運動開始の数週間は40〜50%の運動強度に抑え、徐々に増やすよう述べています。しかしながら患者さんの心肺機能が改善し、運動に耐えられれば最大酸素摂取量の85〜90%まで上げる事も可としています。

 運動の種類は水泳、サイクリング、階段昇降、クロスカントリースキー(?私は目を疑った)、ボート漕ぎ、エアロビクス等多くの種目が挙げられます。心臓病を持つ患者では運動を行う際に血圧、心拍数等のモニタリングに慎重をきたすべき事は言うまでもありません。狭心症や心筋梗塞などの心筋虚血の症例では、予め行った負荷心電図で狭心症の症状が出現した時の心拍数か心電図でST部分が1mm以上低下したときの心拍数より10拍/分低い状態で行うべきとしています。

 心不全の患者の多くは薬物治療が行われていますが、併用される運動療法で注意しなければならない事は、全ての症例が運動によって症状が改善するのではなく、むしろ運動によって増悪する症例がある事を肝に銘じなければなりません。その為より慎重かつ充分な運動前の心機能の評価が必要になります。

 一般的には心不全の人の運動療法は、最大心拍数の25〜60%と軽度から中等度の強度で行う事になります。トレーニングの開始時は特別な監視が必要で、無線でモニターする心電図を装着する場合もあります。また自覚的運動強度(ボルグ指数)も重要で、12〜13(ややきついかその手前)の運動が適切と言われています。開始時は50〜80mの平地歩行を5〜10分かけて行うか、バイク使用では20Wを5〜10分漕ぐ事から始め、自覚症状を目安に1ヶ月ほどかけて徐々に増量するのが良いとしています。患者の疲労度、体重の変化、むくみの出現の有無のほか、定期的な血液検査(以前にもこのコラムでも紹介したBNP測定)も安全を確保する有効な手段です。

 冠動脈を拡げる風船治療、ステント治療を受けた患者は、治療の5〜7日後から運動を行う事を薦めていますが、治療が完全に行われたか否か、カテーテル検査で確認するか、負荷心電図で安全性を確認した後に行うべきとしています。

 またバイパス手術後の患者は、低レベルの運動であれば術後24〜48時間後でも開始可能としていますが、胸部や下肢の手術創の回復に4〜6週間かかる場合があり、胸骨を切って手術を行った場合、ワイヤーで固定していても完全に癒合するのに3ヶ月かかる為、この間は上半身の激しい運動は慎むべきとしています。

 風船治療やバイパス手術のいずれも残念ながら不完全な血行再建に終わった症例では、運動療法の適応や開始時期は先に述べた限りではなく、循環器専門医の判断に委ねられる事になります。

 さて、今回のガイドラインの改定では、従来は心臓病では望ましくないと考えられていたレジスタンス(抵抗)運動が取り入れられています。レジスタンス運動は、危険因子を修正する効果において持久力運動より劣りますが、適切な方法で行えば筋肉量が増え、基礎代謝率が向上し、日々の生活を送る上での活動性が向上します。ガイドラインでは、8〜10種類のシングルセットのメニュウを示しており、【チェストプレス、ショルダープレス、トライセップス・エクステンション、バイセップス・カール、プルダウン、ロウアーバック・エクステンション、アブドミナル・クランチ/カールアップ、クワドロセップス・エクステンション、レッグプレス、レッグカール/カーフレイズ】これらの大きな筋肉群の運動を週に2〜3日行う事を勧めています。

 筋力と抵抗力のバランスの取れた強化の為に、50〜60歳までの比較的元気な人では8〜12回の繰り返しをワンセットとし1〜3セット行い、50歳以下の人では強度の低い抵抗運動を10〜15回繰り返す事を勧めています。

 有酸素運動、抵抗運動のいずれを行うに際しても、充分なウォームアップとクールダウンが重要です。高齢者や運動習慣の無かった人、肥満の人では、骨格筋や関節を痛めないように5〜10分かけて入念なストレッチ、準備体操を行う事が重要です。運動中は失われた水分を十分補給し、運動の終了に当たっては急に運動を止めると運動後に低血圧が起こったり、失神、不整脈が生じる場合もあり、始めるときと同様に5〜10分かけてクールダウンを行います。焦らずゆっくり運動療法を楽しむ事が重要であると思います。

文献: Gerald F Fletcher, Gray J Balady et al. Exercise Standards for Testing and Training A Statement for Healthcare Professionals from the American Heart Association. Circulation. 2001;104:1694

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