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 第64回 「高齢者のウォーキング」

 自宅近くの駅のガード下にある小さなバーは、静かにジャズが流れ、カウンターの前に並ぶ多くのモルトウィスキーやスピリットのビンに隠れるように、いつもにこやかに上品な女主人が迎えてくれる素敵な店である。『東京のBar100店』に選ばれただけあって、キーンと冷たいグラスに注がれるマティーニは絶品である。彼女の人柄と美味しい料理、広いレパートリーのカクテル、品揃えの豊富なスコッチ、バーボンウィスキーを目当てに8席ばかりのカウンターはいつも適度に混んでいる。

 ある日の事、仕事帰りにいつものベーセルヘーデンをロックでちびちびやっていると、60歳絡みの元気印の女性に引率された、90歳近くの爺さん4人組が店に入ってきた。皆ウォーキングシューズを履き、トレーナー姿で腰にはポーチを付け、遠足帰りの小学生の様な風情である。小さな店であるし、みんな耳がやや遠い為か声が大きく、カウンターの隅に一人いた私は、うるさい爺さん達にくつろぎの時間を奪われた事をやや不快に思っていたのだが、次第に爺さん達の話に耳をそばだてていた。

 彼らはどうも旧制中学の同級生らしく、後輩の女性が世話人となって歩く会を作り、その日はそのウォーキングの帰りらしかった。最も声の大きな老人はマルガリータを注文し、昔海外勤務の折りに知り合ったマルガリータという名も女性との50年も前のロマンスを熱く語り、一番えらそうな顔をした爺さんは通産省や厚生省はいかに馬鹿の集まりかと言う話を延々としゃべり、一番体格の良い爺さんが「皆で文芸春秋の同級生集合のグラビアに出たのは30年前だっけ?○○も△△も若い女房をもらった奴は皆死んでしまった。」等としんみり独り言。一番静かな老人が時々私の方を見やって気の毒そうに「うるさくてすみませんねえ」。等と言う。4人が勝手に好きな事をいっているのを引率女性が、幼稚園の悪ガキを前にした先生の様にさばきながらメートルを上げていたのだが、小一時間も経った頃、彼女は勘定に立ち上がりながら言いました。

 「さあ、皆さん今日はこれでお開きにしましょう。来週は渋谷のNHKの近くに童謡“春の小川”の元になった小さな川があるから、そこでみんなで春の小川を合唱しましょう。」「お休みなさ〜い。」と大きな声で店を出て行く彼女の後ろを爺さん達が、少しふらつく足でぞろぞろ帰って行きました。女主人によると「あの皆さんは、春のカクテルフェアーだのワイン祭りだののお知らせを出すと必ず出没するんですよ。皆さん元は省庁の局長だの、事務次官だのおやりになった方達ばかりですけど、お一人になってお寂しいのでしょうね。オホホ。」との事。なにか不思議な気分になった晩でした。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回は老人のウォーキングについてお話します。

 高齢者になると室内に閉じこもり気味になり、あまり歩く事をしなくなります。運動量の低下がたちまちの内に筋力低下となり、たまに歩くと足腰が痛み、やはり家で安静にしていた方が楽という事で、悪循環に陥ってしまいます。年をとると膝の関節の中の軟骨がすり減って、大腿骨と膝下の骨との間隔が狭くなります。

 日本人の場合はO脚が多い為に、股関節から踵に垂直に下ろした荷重線が膝の中央よりも内側を通り、関節の内側に変形性膝関節症と言う病気を起こし易いと言われています。この病気になると、体重の負荷が膝にかかる長時間の歩行や階段を降りる時に、膝の内側に激痛を生じます。進行すると膝に水が溜まり、O脚が益々ひどくなり次第に膝が曲がらなくなってしまいます。こうなるとウォーキングどころではなくなるので、ひどくならない内に予防する事が重要です。

 予防の第一は体重を減らし膝関節への負担を減らす事です。また、膝を支える大腿の筋肉やふくらはぎの筋肉を丈夫にするトレーニングを日頃から心がける事も重要です。水平に寝て患足を伸ばした状態で上げ下げする運動や、浮力を利用して水中歩行がお勧めです。歩けない程痛みが強い場合は整形外科を受診し、X線で変形の程度を診断してもらい、軟骨がすり減るのを予防するヒアルロン酸ナトリウムという薬を関節内に注射してもらったり、鎮痛剤を服用する事になります。整形外科的な疾患がない場合には、有酸素運動としてウォーキングが可能ですが、高齢者では心肺機能の予備力が低下している為、無理のない運動量を設定する事が重要です。高齢者の運動量はアンダーソンの基準という簡便な目安があり、

  1. 安静時脈拍が100を超えている時は運動をしない。
  2. 運動中、息切れ、めまい、胸痛、チアノーゼ、新たな不整脈の出現、脈拍数が135〜140を超えた時は運動中止。
  3. 運動後2分の休息で測定した脈拍数が安静時プラス10以内に戻らない場合は運動過剰。

 という3つの基準を守ると良いでしょう。高齢者は温度調節の機能も低下しているので、暑すぎたり寒すぎたりする気温での運動は、特に注意が必要で、衣服による温度調節、充分な水分の補給を心がける事が重要です。また、突発的な事故を防ぐ為、一人ではなく複数の人同士でウォーキングを楽しむ事をお勧めします。

【文献:実践スポーツクリニック、スポーツ医学からみた年代別・性別スポーツ指導 文光堂】

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