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 第65回 「不眠の話」

 今日も90度に腰の曲がったM婆さんが、外来に睡眠薬をもらいにやって来ます。通常の3倍もの量の眠剤を欲しがりますが、夜間にトイレに立つとき朦朧として何回も転び危険です。何とか他の方法で眠れないか考えるのですが、M婆さんは私に手を合わせて拝むように「睡眠薬が無いと生きてゆけない。夕べも一睡もしていない、お願いだあ〜。」と言う訳で、今日も同じ処方を出してしまいます。

 家族の話では昼寝を2〜3時間しているようですし、夜中も結構いびきをかいていますよとのこと。もう少しで永〜い眠りが待っているからええんでないの?というような不謹慎な考えは夢にも持たず、日々高齢者の睡眠障害と奮闘しています。

 さて、睡眠のメカニズムは複雑で充分に究明されてはいませんが、プロスタグランデイン、サイトカイン等の免疫物質や、プロラクチン等のホルモン、神経ペプチド、グルタチオン等、様々な睡眠物質が知られており、目覚めた状態ではこれらの睡眠物質が次第に体内に蓄積し、ある点を超えて多くなると睡眠が誘発されると言われています。体を生理的に正常な状態に保とうとするメカニズムを医学的に恒常性維持機構と言いますが、睡眠と覚醒もこの機構で維持されています。

 もう一つのメカニズムは体内時計機構と言われるものです。体内時計の一日は25時間周期である事が判っており、一日1時間必ず遅れる時計なので、様々な同調因子(刺激)によってズレをリセットする必要があります。この同調因子には食事、出社時間、登校時間などの条件づけによる社会的因子がありますが、最も強力な因子は朝の光刺激です。光の情報は目の網膜に入り、脳の中の網膜視床下部への投射を通じて体内時計に伝達されます。また脳の中の松果体と言う所から出るメラトニンというホルモンは、脳の睡眠中枢に作用して睡眠を引き起こしますが、このメラトニンは夜暗くなると産生され、朝明るくなると少なくなる事から、体内時計の睡眠調節に関与すると言われています。

 このように睡眠と目覚めは恒常性維持機構と体内時計の二つのメカニズムによって制御されていますが、なんらかの原因によって制御困難になった状態が不眠と言えます。さて一言で不眠症と言っても様々です。不安、痛み、時差ボケなどで数日間眠れない一過性不眠や、さらに強い仕事や家庭のストレスにより1〜3週間続く短期の不眠の他、一ヶ月以上持続する長期不眠があります。

 一過性や短期の不眠は適切な睡眠薬を医師に処方してもらい、文字通り短期に解決するので問題ない事も多いのですが、長期不眠は複雑な原因が基礎的にあり医学的にも厄介な事が多いのです。長期不眠は以下に挙げる原因が知られています。

  1. 神経症、うつ病、精神分裂病、老人性痴呆などの精神疾患に伴う不眠。
  2. アルコール、薬物に関連した不眠。
  3. 睡眠中に呼吸が10秒以上止まり、この無呼吸が一時間に5回以上、一晩の睡眠中に30回以上生じる睡眠時無呼吸症候群。これは最近新幹線の運転手の事故で有名になり、意外に患者が多い事が分かって来ました。
  4. 入眠すると下肢が意志に反してぴくぴく動く周期性四肢運動障害や、睡眠中に原因不明で下肢がむずむずし、虫が這うような感じや痒い不快感を生じ、足を動かすと楽になる、むずむず脚症候群などの身体疾患に伴う不眠。
  5. 寝つきが悪く不眠に対する不安が非常に強い神経症不眠。
  6. 睡眠の老化現象であり、加齢によって生体リズムが前倒しされる事により生じ、生理的変化の早寝早起きがさらに進行した老人性不眠。
  7. 体内時計がうまく作動しない概日リズム障害と言われる不眠で、就眠時間が遅くなる為に起床できず、学校や会社に遅刻し社会生活に支障をきたす(朝10時以降でないと起きれず、午前2時以降にならないと眠れない)、睡眠相遅延症候群。
    入眠時間と覚醒時間が極端に早い(2時間以上早い)睡眠相前進症候群。
    睡眠と覚醒のリズムが毎日1時間ずつずれて、患者の一日が24時間+1時間の25時間になり、3〜4週おきに昼夜逆転となる非24時間睡眠覚醒症候群などがある。

 不眠症の治療は原因により異なり、単に睡眠剤を服用すれば良いというものでもありません。まず不眠の原因を自分で考えてみて、改善すべき生活習慣を改善することが第一です。一般的な不眠改善には次に挙げる事に注意してみると良いでしょう。

  1. 眠れない事への過度の不安が不眠をもたらす悪循環になる場合があり、何時間は眠らなければいけないという睡眠時間や、何時になったら眠らなければいけないという就寝時間にこだわり過ぎないこと。
  2. 規則正しく起床直後に日光にあたり、体内時計をスイッチオンすること。
  3. 午後から夕方にかけて適度な運動を行うこと。
  4. 寝室や寝具を工夫して眠りやすい環境を作る。
  5. 寝室や寝具は睡眠と性生活以外には使用しないこと。
  6. 就寝4時間前のカフェイン摂取、1時間以内の喫煙、過度のアルコール摂取を控える。アルコールは睡眠導入効果があるが、睡眠後半で眠りが浅くなり中途覚醒や利尿効果により、夜間尿意の為の早朝覚醒の原因となる。
  7. 音楽鑑賞や読書(面白くて集中しすぎない本、難しい大江健三郎の小説がお勧め)、ぬるめの湯の入浴など精神的緊張を和らげる自分なりのリラックスを試みる。
  8. どうしても眠れないときは医師に相談し、適切な睡眠薬を処方してもらう。

 最近では効果的で翌日まで眠気を残さない、副作用の少ない優れた睡眠薬が手に入るようになりました。

 では皆さん良い眠りを!お休みなさい。

【文献: 睡眠障害の対応と治療ガイドライン。内山真編 じほう社 平成14年7月】

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