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 第88回 「地中海様食事」

 さわやかな5月の風に吹かれ靖国神社に参拝してきました。まばゆい新緑の中で、遠くにかすんで見える拝殿に向かい老若男女が静かに手を合わせていました。さて、今回の靖国訪問はもう一つの目的がありました。境内の遊就館で開かれている日露戦争100周年記念の展示を見るためです。実は母方の祖父が若き独身の将校として出征し、有名な奉天の戦いで軍刀を掲げて突撃した際に、敵の弾丸が右の上腕を貫通して胸部にあたり、その穴の開いた軍服が展示されているのです。幸いな事に、胸のポケットに入れていた地元の神社のお守りで弾丸が止まり助かりました。私はその小指ほどの大きさの軍服の穴と、100年後の私の存在の奇跡に感慨を新たにしました。年を経て陸軍内でも有数の中国通となった祖父は、日本の士官学校を卒業した蒋介石とも個人的な交流がありました。その後祖父は上海事変の停戦協定を派遣軍参謀長として締結したり、ワシントン軍縮会議に随員として参加しました。

 祖父は一貫して「日中戦うべからず」という信念でしたが、天津の支那駐屯軍司令官に任命され皇居に赴任の挨拶の為参内した際に、支那(中国)問題に大変心を痛めておられた陛下より「上海の停戦をならい支那問題を収めてくるように」とのお言葉を賜ったとの事です。

 松本重治著の「上海時代」中公新書によると「廣田首相、有田外相、川越大使、最近天津軍司令官に赴任した田代中将という日本側の対中国布陣は、蒋介石にとっては最後の望みを託しうる最善の物ではないだろうか…」という評論もありました。さて、残念な事に日中戦争を避けるべく苦心した祖父が、最高司令官をしていた現地で日中戦争のシンボルとなったあの盧溝橋事件が勃発した時、祖父は心臓病が急激に悪化し意識不明の重態となっており、間もなくしてこの重大局面を指揮する事無く58歳で亡くなりました。

 最近の中国における反日運動は、親しい中国人の友人を持つ私としては非常に残念な事であり、正直言ってはなはだ不快な感を禁じ得ませんが、軍人としては限界があるものの日中親善をモットーにしながら戦争を防ぎえなかった祖父の無念を心に刻み、一時の感情に捕らわれない両国共同の冷静で正確な歴史研究が行われ、将来に真に良好な関係が生まれる事を祈り靖国神社を後にしました。

 さて、今月の医療情報です。5月8日の某新聞第一面に、厚生労働省が生活習慣病増加の歯止めとして健診を促進し、医療費抑制を目指すとの記事がでました。平成16年度の国民医療費32兆円の内、生活習慣病だけで7兆5千億にも昇り、益々増加傾向にある為、健康指導によってなんとかこれを抑制しようという訳です。健診と共に生活習慣の食事、運動習慣の是正が重要ですが、巷で大流行の6千億円市場と言われる健康食品に手軽に飛びつき、彼らの懐を潤わせるだけではいけません。宣伝に迷わされ特別なものに大枚を支払わなくても、日頃の食事内容を変える事で充分効果があると考えます。

 元々私達の日本食は、動物性脂肪が少なく塩分が高いことを除けば健康食であり、多くの研究で動脈硬化を抑制する事が知られています。残念ながら最近の若い人は伝統的な日本食から遠ざかり欧米風の食生活になり、実際に若年者のコレステロール値は米国人より多いデータも出ています。今更舌になじんだ洋食やファーストフードから日本食へ戻れと言っても無理な話です。そこで「イタメシ」ならどうかと言う事で、スローフードの原点として注目されている地中海様食事についてお話しします。

 最近、心臓血管系疾患に対する地中海様食事の効果に関する論文が発表されました。地中海様食事はイタリヤ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ等の日常の食事、オリーブ油、ピスタチオ等に含まれる一価不飽和脂肪、マメ科植物、果物、野菜、魚を多く摂取する食事であり、動脈硬化に有効と言われています。

 米国医学会雑誌(JAMA)に載った論文によると、ヨーロッパで行われた地中海様の食事と喫煙をしない事、適度なアルコール摂取、身体活動の生活習慣因子が、高齢者において心血管系に良い効果をもたらすかどうかという横断研究が報告されています。対象となったのは試験前に心臓血管病、癌、糖尿病が無い70〜90歳の高齢者2,339人です。食事の内容は予めきちんと作られた質問表を用意して、食事内容を思い出す事によって評価されました。10年後に935人が亡くなり、殆どの死因は心血管病と癌でした。全ての死亡原因によるハザード比(ある介入を行ったグループにおいて、ある時点まで生き延びた者がその時点において死亡する瞬間死亡率:ハザードと他のグループのハザードの比率)を見ると、地中海様の食事0.77、何らかのアルコール摂取0.78、中等度の身体活動0.63、非喫煙0.65であり、これら全ての因子を有する例のハザード比は0.35と最も低く統計学的に有意でした。

 別の比較対照試験を行った研究では、心血管疾患の原因として注目されているメタボリックシンドローム(腹部肥満、高中性脂肪血症、低HDL血症、高血圧、空腹時血糖高値)を有する180人のイタリア人を対象に食事指導による地中海様食事をした群と、食事指導を受けないが無茶しない注意深い食事をした群とをランダムに割り付け、2年間観察しています。血管病変の発生予測因子として注目されているCRP、インターロイキン、インスリン抵抗性等の炎症誘発マーカーが、いずれも地中海様食事をとった群で良い結果でした。血管内皮機能(血管の内面で直接血液に接する細胞の機能)はメタボリックシンドロームで血管閉塞の元になる機序の一つですが、地中海様食事の群は基準レベルよりも著明に改善していました。体重の減少は地中海様食事がわずかに優れているに過ぎませんでしたが、メタボリックシンドロームの少なくとも3つの要素を示す者は、地中海様食事の群が有意に少ないという結果でした。

 これらの論文は、高齢者でも食事のみならず生活習慣の改善によって心血管病の発生を予防し、生化学的にもその理由が裏付けられた事を示しています。

【文献】
Koops KTB et al. Mediterranean style diet, life style factor and 10 years mortality in elderly
Europian men and women: The HALE project. JAMA 2004 Sep 22/29,292,1433
Esposite K et-al, Effect of a Mediterranean style diet on endotherial dysfunction and markers of vascular inflammation in the metabolic syndrome: A randamized Trail JAMA 2004 Sep22/29,292,1440

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