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 第89回 「気絶心筋」

 世間では談合問題がメディアをにぎあわせています。我が家で談合といえば必ず出てくる話しがあります。戦後、満州から着の身着のままで引き上げてきた家内の家族は、生活の為に義母が「東京商事」という大袈裟な名前の会社を設立し、電球を売る商売を始めました。当時の電球は粗悪品が多く、すぐ切れる為に買い替えの需要が結構あったそうです。まだ幼かった唯一の社員の家内と子供連れで電球を売り歩くと、同情されてまずまずの売れ行きだったという事です。

 あるとき刑務所で電球を大量購入する話があり、同業者からこっそり「今回はダンゴウにしましょう」という話を聞いたそうですが、商売に素人の義母はダンゴと聞き間違えて、食糧事情が悪く入手困難な折に無理をして団子を大量に買い求め、入札会場に持っていったそうです。ドリフのギャグ並みのあまりに露骨な間違いに、皆に呆れられたのですが、3500個の電球入札に成功したそうです。その後まもなく「東京商事」は店じまいしましたが、その義母も今年で93歳になり、今日も元気に好物の団子を食っています。

 さて今月の医療情報は突然の強い精神的ストレスにあった場合、心(こころ)に衝撃が加わるだけではなく、実際に心臓が気絶するという話です。

 音などの強い刺激で、小動物がショックになりそのまま死んでしまう話や、お年寄りが地震や格闘技観戦などの激しい精神的興奮でショック死した話を聞きます。急性の驚愕や恐怖の強いストレスを受けると、血管迷走神経反射の結果、脈が遅くなり、心臓の収縮力が低下したり、末梢の血管が拡張して体温低下、血圧低下、血糖値の低下、神経活動の抑制、筋肉の緊張低下が起こります。この時期をショック相と言いますが、あまりに反応が強いとそのままショック死と言う事になります。

 ショック相に続いて体の防御反応が起こります。自律神経の内の交感神経が興奮してエピネフリン、ノルエピネフリンが多く分泌され、血圧、体温が上昇し、高血糖、筋肉が緊張します。この反応が強すぎると、高血圧により脳の血管が破れたり、心臓を栄養する冠状動脈が痙攣の為に縮んで血液が流れなくなり、さらに血小板が凝固しやすくなって血栓が発生します。この結果、心臓が急性心筋梗塞を起す場合があります。

 ところで、冠状動脈が閉塞した後、早い時期に再び血流が再開(再還流)すると心筋梗塞にならずに済みますが、一時的に心臓の動きが悪くなり回復に7日〜10日かかります。この期間の心臓の状態をStunned Myocardium(気絶心筋)と言います。また、気絶心筋の状態が慢性的に繰り返させられる事をHibernating Myocardium(冬眠心筋)と言い、持続して心臓の収縮低下した病態となって、バイパス手術や狭窄部の拡張術などの血行再建が必要となります。

 さて、最近米国の名門ジョンスホプキンス大学の2つの関連病院から、気絶心筋に関係ある『ストレス心筋症』−突然の感情ストレス後の心筋気絶−と言う珍しい症候群が発表されました。1999年から2003年の間に身近な人の突然死の知らせ等の突然の感情的ストレスを受け、数時間後に急性の胸痛や心不全を発症した19人の患者(女性18例、男性1例、平均年齢63歳)が研究対象です。全ての症例で、心臓の収縮率の指標である左室駆出率(正常値70%以上)が低下しており(中央値20%)、全ての患者で共通して心室中央部と心尖部が全く動かないakinesisiが、収縮期に逆に膨れるdyskinesisと言う異常な心臓の収縮パターンを示していました。

 このような場合、冠動脈が完全に閉塞して起こる急性心筋梗塞との鑑別が必要ですが、冠状動脈の血管造影検査では、18例の患者は全く正常か、わずかに血管の内腔の壁がスムースさを欠いているのみであり、一例の患者においてのみ、3本の冠状動脈の内の1本が70%の狭窄を示していました。また、冠動脈の痙攣である攣縮を示す証拠もありませんでした。急性心筋梗塞の時に血液検査で上昇するトロポニンΙとクレアチンキナーゼという酵素は正常か、わずかに上昇するに過ぎませんでしたが、電図上は全ての症例が心筋の虚血を示す所見を示していました。

 血液中のエピネフィリン等のカテコーラミンの濃度は、心筋梗塞における値よりも数倍高い値を示していましたが、左室駆出率の経過を追ってみると3日〜7日で45%に、14日から28日でほぼ60%に改善しており、心臓の気絶から覚めた状態に戻っていました。

 著者らは、ストレス心筋症は強烈なストレスによって大量のカテコーラミンが放出されて、心筋の気絶を起したものと考えています。この症候群の病因、治療法はまだまだ不明な点が多いようですが、色々と珍しい病気が登場して医者も大変です。気絶しそう!

【文献】
Wittstein IS et al.Neurohumoral features of myocardial stunning due to suddeen emotional stress.N.Engl J Med 2005 Feb 10;352:539

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