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 第90回 「低ナトリウム血症」

 もうすぐ夏休みです。運動部の学生にとっては、厳しい夏合宿や猛暑の中の猛特訓が始まります。「苦しい試練を乗り越えて夏を征した物に勝利の女神が微笑む。」等と星一徹のような監督、コーチに言われ皆頑張るのですが、残念ながらこの時期の練習中に熱中症等の死亡事故のニュースが毎年後を絶ちません。一昔前までは「練習中に水を飲むなんてもってのほか!』と言う非科学的な精神的スパルタ訓練がまかり通っていました。さすがに最近では熱中症の知識が指導者にも認識されたために、運動中の水分補給には十分配慮がなされるようになりました。ところで何事も程々が重要で、運動中の過剰な水分補給には問題があることが分かってきました。

 今回の医療情報は、激しい運動中の水分補給に関する論文を紹介します。

 米国の権威ある医学雑誌のNew England Journal of Medicine 2005年4月号に『ボストンマラソンにおけるランナーの低ナトリウム血症』という論文が発表されました。

 低ナトリウム血症は血漿ナトリウム濃度が130mEq/L以下(正常値135〜145mEq/L)の状態で、原因として(1)ナトリウムが対外に多量に出て行く嘔吐、下痢、熱傷ショック、腎機能障害、副腎不全、利尿剤過剰投与による場合。(2)水分の多飲、抗利尿ホルモン分泌異常によって体内の水分過剰によりナトリウムが希釈される場合。(3)重症心不全や肝硬変でナトリウム貯留のために全身のナトリウムは増加しているが、それを上回る水分貯留がある場合。等が挙げられます。

 平たく言うと、体からナトリウムの絶対量が減った場合と、体内の水分が増えて相対的に血漿中のナトリウムが希釈されて低くなった場合に生じます。低ナトリウム血漿はNaが115mEq/L以下になると意識が低下し、痙攣、昏睡が生じ、死に至る事もあります。

 さて、マラソンランナーのレース中の死亡事故や重篤な障害の発生に低ナトリウム血症が注目されて来ました。ボストン子供病院のスタッフは、このマラソン中の低ナトリウム血症の発症頻度と危険因子を検討する目的で、2002年のボストンマラソン参加者を対象に研究を行いました。

 マラソンレースの2〜3日前にこの研究への参加者を募り、766人が登録されました。まず参加者のプロフィール、トレーニング歴やどの程度のランナーかという情報をあらかじめ調べました。488人が完走後採血され、血中のナトリウム濃度が検査されました。また個々にレース中に摂取した水分量、排泄した尿量を詳しく申告させ、レース前後で体重の測定を行いました。

 この結果、レース後62名(13%)が血中Na135mEq/L以下の低ナトリウム血症になり、3名(0.6%)が120mEq/L以下の重篤な低ナトリウム血症と判定されました。重篤例の血漿Naはそれぞれ119、118、114mEq/Lでした。

 低ナトリウム血症の関連因子を調べると、(1)レース後に体重増加がある。(2)レース中の水分摂取が3リットル以上である。(3)レース時間が4時間を超える。(4)女性のランナー。(5)BMIが20未満で低い。といった要素が想定されましたが、多変量解析と言う、より信頼度の高い統計処理を行うと、低ナトリウム血症はレース中の体重増加(オッズ比4.2)、レース時間が長く4時間を超える事(3時間半より短い物とのオッズ比7.4)が最も関連性が強く、BMIが20未満である事は有意ではあるものの、前者よりは関連性は低い結果となりました。またレース後の体重増加はレース中の推定水分摂取量と密接に関連していましたが、摂取した水分がただの水とスポーツ飲料水という違いは、低ナトリウム血症の予測因子にはなりませんでした。

 この結果から著者らは、過剰な水分摂取が低ナトリウム血症を引き起こしたと結論していますが、個々の腎臓の状態、抗利尿ホルモン作用などの要因が、ランニング訓練中に水が腎臓から排泄される量で自由水クリアランスの阻害に関与した可能性もあり、選手達に対してランニング訓練中にそれぞれが体重変化をモニターし、個々の水分必要量を判定するように推奨しています。

【文献】
Almond CS,Shin AY et al, Hyponatremia among runners in the Boston Marathon.N Engl J Med.2005 Apr 14;352(15):1550-6

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