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 第20回 「下肢静脈瘤」

 暑かった夏もようやく終わろうとしています。遠くで聞こえる最後のセミの声に何となく寂しい気持にさせられます。今年の夏は、久々の休暇をとって14年ぶりの英国旅行に行ってきました。3泊5日の慌ただしい旅でみんなからは少しクレイジーだ等と言われましたが、中身の濃い有意義な時を過ごしました。

 旅の目的の一つは、留学中に本当に世話になり、帰国時に開いてくれたパーティで、「チャイムが鳴りドアを開けるとお前達が立っている日が来るのをずっと待っているよ」と言ってくれたJ氏が今年の5月に亡くなり、ご遺族に直接お悔やみを言い、墓参りをする事でした。悲しみから未だ立ち上がれない夫人に伴われ、古い教会の裏の墓地を訪れると、英国人にしてはそれほど大柄でなかった彼の身長の棺のサイズにまだ新しい土が盛られたままになっており、生々しさに言い様もない悲しみに襲われました。残された者にとって信仰による癒しはともかく、亡くなった後直ちに骨になり、何となく心の整理がつく日本の火葬の方がいいなあと感じました。

 旅の第二の目的は、英国の最近の医療状況を勉強する事でした。リタイアしたばかりの昔のボスのお宅をタクシーで訪れ、トランクから荷物を取り出していると、家の中から14年前と同じネクタイとジャケットを羽織ったスコットランド人のボスと奥さんが走り出てき、よく帰ってきたと強く抱きしめられました。手術中や病棟で幾度となく怒られた怖いボスでしたが、術者として数多くの心臓手術を経験させてくれ、色々な思い出に胸が熱くなりました。

 奥さんの心尽くしのディナーを頂き、おいしいワインに心地好く酔いながら、夜遅く迄最近の医療情勢を聞く事ができました。翌日は昔勤務した大学病院の他、いくつかの公立の病院、市立の病院を見学しました。詳しくはまたの機会にお話ししたいと思います。

 さて、前書きが長くなってしまいました。今回は下肢の静脈瘤についてお話しします。多くの男性がそうであるように?私は歩きながら前を行く女性の下半身を観察することがあります(純粋に医学的見地から)。スカートが短くなるにつれ、下腿の静脈が蛇のように浮き出ているヒトや、ナマアシの膝の下の後ろ側に網目状や蜘蛛の巣状の血管があるヒトをよく拝見するようになりました。

 これは下肢静脈瘤と言う病気で、程度の差はあれ、我が国では43%のヒトに見られ、まれな病気ではありません。又その頻度は歳と共に増え、70歳以上では75%と言われています。従来、極端に瘤が大きく美容上問題になる場合や、瘤による下肢の痛みや浮腫、瘤に沿った茶褐色の皮膚の色調変化、更に皮膚に潰瘍を作った様な中等症や重症例が手術を含む治療の対象となってきましたが、多くの場合「病気ではないからほっときなさい」と言われる事が多かった様です。しかしながら最近治療法の進歩により下肢静脈瘤の疾患としての認識が医療側にも高まり、適切な治療を重症化しないうちに受けられるようになって来ました。

 では下肢静脈瘤は何故起きるのでしょうか?

 下肢の静脈には筋肉の奥深くにある大きな深部静脈と皮下を走る表在静脈があります。そしてこれらの血管は膝の後ろと、股の付け根で合流します。また多くの穿通枝と言う短い血管によって大腿部と下腿部の各々で二つの血管がつながっています。静脈の中を流れる血液は重力に逆らって足の先から一方通行で心臓まで昇って行きますが、逆流しないように深部、表在のいずれの静脈にも多数の弁があります。

 静脈血の心臓への戻り(還流)は呼吸によって心臓内(右心房)の圧の変化が起こり、心臓へ静脈血が吸い込まれる事と、歩行等による下肢の筋肉の収縮がポンプの役目を果たし、下肢を流れる静脈血を吸い上げる事によると言われています。また、この筋肉は弛緩すると表在静脈の血が穿通枝を介して深部静脈に流れ込み、次の筋肉収縮の周期で心臓へ戻ることになります。

 このように正常な静脈では常に心臓に向かって一方向に血液が流れるのですが、妊娠で子宮が大きくなり、腹部の静脈が圧迫される事により、下肢の静脈圧が高くなる場合や、板前さん、理容師、デパートの店員、手術室の看護婦等の様に長時間一ケ所に立ちっぱなしで動かない職業のヒトで下肢の筋肉ポンプが働かない場合、静脈血が重力に逆らって心臓に戻り難くなり、その結果血液がうっ滞し、静脈が膨らんでしまいます。静脈の弁は血管の半周分の壁の一部が各々ヒダの様に半月状に中央に伸び、合わさって、血流により開閉しますが、静脈が膨らむと、左右の弁が壁に引っ張られ、閉じなくなり、血液の逆流が生じます。そしてこのような状態が反復、持続すると弁が壊れてしまいます。

 表在静脈の弁は特に高い圧を受けやすい為に弁が破壊されやすく、静脈瘤となってしまう事も多いのです。以上が下肢静脈瘤の発生機序です。次回は治療と予防についてお話しします。

【参考文献】
 岩井武尚、上山武史、折井正博: 下肢静脈瘤硬化療法の実際医学書院、1997

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