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 第76回 「第20回全日本トライアスロン宮古島大会」
 今回は、第20回全日本トライアスロン宮古島大会をレポートして来ました。

 宮古島大会は85年に第1回大会を開催し、今年で20回目を迎えました。第1回大会は、選手の出場定員も満たない状況で完走者は220名でした。20年目を迎えた今回の出場応募者総数は、2,386名ありましたが、一頃では3,000名を超す出場希望者があり、日本で一番のメジャー大会となりました。85年の開催時には、日本ではトライアスロンなるスポーツがどの様なスポーツかを知る人は殆どおりませんでした。第1回大会のスタートからゴールまでをNHKがTVで途中経過も入れながらスポットで全国に生中継した事で、トライアスロンと言うスポーツは最初に泳いで、次に自転車に乗り、最後はマラソンで、これを連続で行なう競技である事が分かった訳です。

 日本国内におけるトライアスロンの歴史は、82年に鳥取県の皆生温泉で第1回の大会が開催されましたが、大会自体がメディアに載る事がありませんでしたので、広く一般に知られる事はありませんでした。何故、沖縄本島よりまだ南の小さな島でトライアスロンを開催する事になったかと言いますと、当時宮古島はこれといった観光ポイントも無く、島の産業といえば砂糖きびと焼酎ぐらいしかありませんでした。全国の人が宮古島と言う名前を聞くのは、台風の季節の気象情報ぐらいでした。島の下地町の前浜に東急グループがホテルを建設しましたが、開業以来稼働率が15%ぐらいしか無く、そこで東急ホテルの総括責任者であった田中清司氏が、平良町と琉球新報にハワイ島でやっているトライアスロンをこの島でやったらどうかと、話を持ち掛けたのが事の始まりでした。

 トライアスロンなる競技を地元の人々に理解して貰う為に、関係者の方々のご苦労は大変なものがありました。島全体の協力無くしては競技が出来ません。平良市を中心として各町の有力者の説得等、並々ならぬご苦労があったそうです。現在では各部門の大会運営マニュアルが確立され、大会運営がスムーズに出来ていますが、それも20年間に蓄積された遺産と言えましょう。

 今回、20年目の区切りの大会となりましたが、何事も年数が経つと得てしてマンネリ化しがちですが、日本のメジャー大会の一番手として、今後30年40年と続けて行く為にはまだまだ改善すべき点もあり、現状に甘んじる事無く、大会関係者と選手一人一人がトライアスロンに対する取り組みに一層の努力をして行く事で、世界のトライアスロン界で宮古島大会と言うステータスを得られるのではないかと思います。

 さて、今回の20回記念大会は1,434人が出場しました。前日まで風が強く吹き曇がちの天候で、レース当日の天気予報も風速12mぐらいの風が吹くとの事で、スイム中止も大会事務局では考えておりました。過去スイムが中止になった事は無く、20回目の記念大会が初めてスイム中止となってしまうのかと心配されていましたが、翌日は早朝より風も収まり、波もなく気温も21度、湿度66%のコンディションとなりました。

 男子ではここ3〜4年外国勢に優勝をさらわれ、日本人は全く勝てず、一昨年までピーター・クロプコ選手に3連覇され、昨年はマルクス・フォスター選手が優勝、今年も2連覇を狙って出場して来ました。それに対し日本勢は田村選手、谷選手、小原選手らが巻き返せるのかが見所でした。女子では昨年優勝した地元の千葉選手の2連覇達成なるか、外国招待選手がどこまで食込んで来るのかが注目される所でした。

 レースはスイムを日本のオープンスイムの第一人者である疋田選手が34分45秒で、2位以下に4分の差を付けトップで上がり、2位グループに小原選手、三木選手、3位グループにピーター選手、河原選手、ミッチェル選手、マルクス選手の順でバイクをスタートしました。バイクに入り天気は曇っておりましたが、徐々に風が強くなり日本勢はスピードが上がらず、バイクに強いミッチェル選手がトップを走る疋田選手をパスしトップに立ち、その後をフォスター選手、日本勢では60kmぐらいでは谷選手が日本人トップグループを引っ張る形で走っておりましたが、またまた昨年同様にパンクのアクシデントの為に脱落し、代わりに池形選手、田村選手の順で外人勢を追う形となりました。結局バイクトップでゴールしたのはミッチェル選手で、2位のフォスター選手に8分の差を付けランをスタートしました。日本勢は池形選手がトップでバイクを上がりその後を田村選手、小原選手、谷選手は10番手でランをスタートしました。ランに入りミッチェル選手が逃げ切れるかのかが注目されましたが、フォスター選手が29km地点でミッチェル選手をパスし、逆転で2連覇を達成しました

 女子は名取選手がスイムを38分23秒でトップ、2位グループにヘザー選手とジュリー選手、3位グループに千葉選手の順でバイクに入りました。バイクではジュリー選手がトップで上がり、2位にヘザー選手、3位に塩野選手、4位に千葉選手の順でランスタートしました。ランスタート時点でトップとの差が約12分ありましたが、暑さに強い千葉選手に逆転の望みが掛かりました。午後2時の気温が25度近くなり、やはり暑さに強い選手が台頭して来る事が予想されました。1、2番手を走っていた外国勢が暑さの為に失速し、トップと18分差の6番手でランをスタートした岡選手が、暑さを物ともせず前にいる選手を次々とパスし、25km地点では遂にトップのジュリー選手を抜き去り、逆にゴールでは2位に10分の差を付け初優勝しました。2連覇が期待された千葉選手は、バイクのオーバーペースが祟りランで失速、2位には過去3回優勝している山倉選手が入りました。岡選手のランの強さには定評があり、暑さにも強く、2月のマレ―シア大会の40度近い中でのレース経験も生かされたのでしょう。

 男女共に外国勢のバイクの強さが目に付きました。日本勢はランではかなりの所まで行くのですが、バイクで圧倒的な差を付けられてしまっては逆転は不可能です。特に男子はもっとバイクの力を強化しなくては、来年以降も外国勢には勝つ事は難しいでしょう。ここ5年間、外国選手に優勝を奪われ、今後日本人選手が優勝する事ができるのか危惧されます。

 宮古島大会に20年連続で出場した方が7人もおりましたが、その中でも20年連続で入賞している城本選手の宮古島に対する思い入れには頭が下がりました。まだまだ5年10年と頑張ってもらいたいと思った次第です。

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